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おれの住む町のとある小さな商店街、そのアーケードの向かい側に、大手スーパーが数日後にオープンするらしい。
この商店街の並びにはつい数ヶ月前にも大手コンビニがオープンし、おれはその時も首を傾げていたのである。
長年商店街に活気と風情をもたらしてきた、肉屋や果物屋や文房具屋やクリーニング屋などの人達は果たして、大手の侵略に反対したのだろうか?それとも泣き寝入りしているのだろうか?はたまた手を組んだのか?それとも、背後に有無も言わせぬとてつもない権力の影でも潜んでいるのだろうか…
うーむ…どうも一筋縄ではいっていないような気がしてならない。
もしかしたら水面下では、世界を騒がすどこかの地域の民族紛争のようなことが起きているのではないか!
しかし、悔しいことにスーパーってのは非常に便利で、その建物の中に生活に必要なものが全て揃っている上に、それぞれの品物は小さな商店よりも安く、商品の回転が早いために新鮮なものが多く、最近では営業時間も朝早くから深夜までやっていたりもする。しかし、その利便性の中には人間臭さとか体温といったものが存在しない。無機質なのだ。
人間ってのは、どう足掻いても人間でしかないのに、そんな人間臭さを嫌ったり、自然の中の一部であるはずの人間が田舎を蔑んで都会に憧れてみたりして、利便性を重視したものが流れてくる背景にはこういった人間の心があるのではないか。などと考えるのです。
おれがこんなことを言うと、「お前なんか生まれも育ちも東京で、その利便性の恩恵をガキの頃から受けまくってるじゃねぇか!」などという声も聞こえてきそうですが、いやいやいや、地域に限らず我々の世代では生まれた時にはこのような図式は全国に出来上がっていたわけで、それに、おれの地元は東京でも東京の植民地みたいなトコなので、東京にいながらにして東京を見上げて育っているのです。
話が反れましたがこんな例えはどうでしょう…
・八方美人で世渡り上手なんだけど、影では人の文句ばかり言っている、まるで選挙活動の時だけ市民にペコペコ頭を下げてる政治家のようなヤツ。
・媚を売らない頑固な意思と説教臭さが売りで、ちょっと付き合いにくいが、困ったときには手を差し伸べてくれる、まるで立ち飲み屋にたむろするオヤジのようなヤツ。
おれは後者の方が断然好きだ。
おれの目から見ると、大手スーパーが前者、小さな商店街が後者といった感じだろうか。

「長いものには巻かれろ」って言葉があるけど、長いものに絡まってその場でコケちゃうタイプってけっこういるよね。
おれなんかは完全にコケる側の人間。

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長いものに巻かれながら40年以上活動をしているのがローリング・ストーンズ。
やれ世間がモッズだと言えばそっちへコロコロ。
やれ世間がサイケデリックだと言えばそっちへコロコロ。
やれ世間がフラワームーブメントだと言えばそっちへコロコロ。
やれ世間がディスコだと言えばそっちへコロコロ。
やれ世間がラップだと言えばそっちへコロコロ。
まさに転がる石達です。
もしかしたら、これぞローリング・ストーンズって音に辿り着いたのは90年代以降なのかもしれないですよ。
そんな長いものに巻かれているストーンズの曲の中でも、特に時代を意識したと思われるのが1978年のシングル「Miss You」
この曲でチャーリー・ワッツの叩くドラムは、他のヒット曲と変わらない8ビートなのに、あら不思議!聴こえてくるリズムはディスコなのです。
リズムの取り方に秘密があるんですね~
どんなに長いものに巻かれていてもストーンズ流になるのにはちゃんと根拠があるのです。
ローリング・ストーンズって連中は長いものに巻かれながら、実は根っこの方は非常に頑固なんですね。

世界は動いています。時代は変わります。長いものに巻かれているうちに、のど元過ぎれば熱さも忘れるのかもしれませんね。
それでものどを大ヤケドしそうなおれがいます…


Miss You / The Rolling Stones 1978年
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06/25|MOLICE 07||TOP↑
ニューオーダーが解散らしいです…
最近二枚のアルバムが時代のニーズに応えた非常にイイ作品だっただけに今後も期待していましたが、非常に惜しいバンドです。しかも、一度も生で見れませんでした。残念です!
ジョイディビジョン~ニューオーダーという流れも含めて、活動していなかった期間が90年代は長かったですが、不動のメンバーで30年という活動期間はイアン・カーティスの死を乗り越えた復活も含めて驚異的と言えるでしょう!
ピーター・フック(B)とバーナード・サムナー(G.Vo) の不和とのことですが、30年も一緒にやってて、不和って一体なんだろう…熟年離婚の域ですわ!
おれにとってニューオーダーと言えば、ピーター・フックの概念を打ち崩したベーススタイルですかね。
一曲の中で12フレット以降を弾いている時間が70%を超えているでしょうか…要するに、単音のギターフレーズのようにベースを弾くという、誰も特に真似をしたがらないスタイルこそがニューオーダー。
CDを聴いて「コレ…ベース二本入ってるけどライブでどうやってるの…?」なんて思ってビデオ買ったりして、シッカリ投資させられちゃいました。それも彼らの技術ですよ!
曲のコードもリズムもいたってシンプル。なのにめちゃくちゃキャッチーな日本人好みな甘いメロディと不思議な音世界。
テクニックそっちのけで、あくまでセンス一点張りの、思いつくやれる範囲でカッコイイことをやってしまうという、背伸びをしない無理のなさが魅力のニューオーダーはやはりおれのお気に入りです。
ニューオーダーがいなければ、小室系も電気グルーヴも日本に存在しなかった可能性は非常に高いです。
80年代以降の日本の音楽シーンのみに関わらず、文化にも多大な影響を与えたことは間違いありません。

ルールや法則にとらわれなくても音楽はできちゃうっていうことをこのバンドは教えてくれました。
それが必ずしもおれがやりたいことだとは限りませんが…
でも、型にはまらず柔軟だということはとても大事です!

本当ならここでジャケをペタっと貼り付けて…というのが文章の流れなのですが、10回区切りでまとめてるので、今日はその作業はおあずけです。
過去10回のブログをまとめます。

No Good Trying(むなしい努力) / Syd Barrett 1970年
絶妙なスペース , Ms.PANIC / MOLICE 2007年
All Along the Watchtower(見張り塔からずっと) / Bob Dylan 1967年
浮雲男 / エレファント・カシマシ 1989年
New Coat of Paint / Tom Waits 1974年
That'll Be The Day / The Beatles(クリオーメン) 1958年
Money / Pink floyd 1973年
Je t'aime moi non plus / Serge Gainsbourg,Jane Birkin 1969年
It's My Life / The Animals 1965年
ミュージック・ファイター / JUDY AND MARY 1998年

前10回をパンクロックって括ってやっていただけに、今回は選曲の自由度が高いです。その中でも異色なのがジュディマリとやっぱり我らがモリスですかね…?いや、クリオーメンってのもなかなか異色だぞ!
しかし、ブログってのをこんなふうに書いてみると、過去を振り返れるんですね。シド・バレットのことを書いたのなんか随分前に感じるもんな…なんて、つい二ヶ月前のことを遠い目で見ながらシッカリ先のことを見据えていかなくてはいけませんね!

あれ…前にもこんなこと書いたぞ。
日を置いて同じことをパソコンの前でつぶやく…まさに机上の空論ですな!
イカンイカン!

06/23|MOLICE 07||TOP↑
昨日国分寺RUBBER SOULに来てくれたみなさん。どうもありがとうございました。
ひと山越えるとまた次の山を目指す。そんなふうにして世の音楽人は成長と変化を遂げています。
そんなモリスを次回も国分寺RUBBER SOULでお楽しみください。

アフリカのケニアだっけ?ガーナだっけ?ノーベル平和賞受賞者のおばちゃんがつい何年か前、「もったいない」という日本人独自の言葉と概念は環境問題を考えていく上で大事なことだ!みたいなことを言っていましたが、我々日本人にとって日常的な言葉でも、世界的にこの概念を持たない言語と国がほとんどらしく、それを知った時にはかなり驚きました。
消費社会において、「もったいない」という概念のない生活なんてまったく考えられません。
おれはこのおばちゃんの言葉を支持します。
じゃあ逆に、外国にあって日本人にはない概念を持った言葉ってなんだろう…って考えた時に思い浮かんだのが「自由」(FREEDOM)という言葉でした。
今の日本人には「自由」という概念があるわけですが、この言葉のルーツというのは福沢諭吉が海外から持ち込んだ言葉らしく、その昔、そんな話を聞いたおれは、「さすが一国のお札になるだけの人物は違うな~」などと深く関心したものです。しかも!「フリーダム」というカタカナ日本語ではなく、一語の日本語として「自由」という新語を作ったことで国内でも広くその複雑な概念を理解されていったのでしょう。
しかし、最近では見方や考え方も少々変わってきました。
「自由」な人がいれば、「不自由」な人もいるわけで、「自由」といった概念があることで、必然的に「不自由」といった逆の概念も生まれてしまったのではないか…なんて考えるのです。
福沢諭吉は必要に応じて「自由」という概念を国内に持ち込んだのですが、同時に「不自由」のレッテルも植えつけてしまったような気がしてならないのです。
自由を目指すために隣人を蹴落として、不自由な人を作り出すことで得た自由というのはどんな味がするのでしょう…それが格差社会ってやつなのか?いやいや、それが現代社会ってやつなのでしょう!他人の気持ちや立場を省みないなんていうのは、やもはや生きるための常識です。そんなキケンな味をおれも生活の中で知らず知らずのうちに味わっているわけですな。
別に衣食住に困るわけじゃないし、ビンボーって言っても餓死する環境じゃない国なのに、「欲求という名の見栄」を「向上心」っていう便利な言葉に置き換えて、正当化させてるのが先進諸国なのかな…まぁおれ自身がその恩恵を受けながらバンドをやれていたりもするので、むしろそんな社会には感謝すべきなのかもしれないというように、一方向で推し進めた考え方も、ひとたびその裏をのぞき込むと矛盾が生じてきてしまうわけです。
新しい言葉や概念を身に付けるときに、その逆の意味と可能性も掌握しておかなければ、その言葉や概念に心が呑まれてしまうかもしれません。
なにせ言葉ってヤツは、人を殺すだけの恐ろしい力を充分に持っているからね。
凶器であり狂気でもあるんだから。

そもそも「自由」って言葉は解釈の範囲があまりに広く、個人個人の「自由」の概念そのものが大きく違うはずなので、文面に疑問符な方は悪しからず…
そんなおれは今日も自由人。

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実は今、ジュディマリではなくブロンディを聴いているのですが、けっこうジュディマリが好きでして、そもそもは、おれ自身90年代って時代を多感な時期に過ごしていたので、自分世代の国内の文化に大きな影響を与えている人達を安易に否定はしたくはない!という視点で見ていた結果、CDもコンプリートしています。
個人的におれの中でジュディマリって日本のブロンディなんですよ。音楽的にというよりは、バンドの系譜とか文化に与えた影響とかね。YUKIちゃんとデボラ・ハリーには似た点があるわけです(その理由は今度細かく解説します)
5枚目のアルバムの前にリリースされたシングル「ミュージック・ファイター」という曲を、タモリが司会のあの歌番組でバンドが演奏しているのを、特に音楽とかロックとかそういったことに関心のない友人の家のテレビで見ていました。するとその友人が「これって曲なの?」と、おれに聞いてくるのです。なかなか面白い質問です。
おれはちょっと考えてから「これが曲じゃなかったら音楽っていうものの幅が狭くなり過ぎて、誰も音楽なんてやれなくなるんじゃない?」と、少々曖昧に答えました。
確かにそれまでのジュディマリの曲とは違ったタイプの曲でして、ジャジーなイントロからノイジーな展開を繰り返し、でもサビはJポップ!というような少々冒険的な曲でして、おれも正直言うと、「この人達はどの方向に行きたいんだろう…」と、戸惑って聴いていました。
タイアップのCMでは、この「Jポップなサビ」部分だけを流していて、もしかしたら作り手の意図とは反していたのかもしれません。
でも、ジャジーなイントロからノイジーな展開の中にある、YUKIちゃんの持つ破壊的キュート感をおれは汲み取ることはできました。
これは、ボアダムスのヨシミさん率いるOOIOOの持つキュート感を汲み取ることができれば、この感覚は容易に感じれるものかと思います。
ジュディマリとOOIOOでは音楽的にかなりフィールドがかけ離れていますが、ジュディマリがそっち側のフィールドに最も接近した瞬間を見せる曲なのではないでしょうか。
音楽っていうものは本来は自由なものです。ロックをやるからといって、なにもエレキギターとエレキベースとドラムじゃなくたってロックは表現できるわけで、固定の概念とイメージが作り手の可能性を壊してしまうこともあるような気もします。
楽しくなければ音楽じゃない。それは作り手にも聴き手にも言える事なのではないでしょうか。
どんなバンドにもルールはあるわけで、バンドってのはそのルールを共有した者の集団で、そのルール内での遊びの表現なんですわ。
遊びってことは自由なわけで、そんな自由を表現するものなのに、不自由を伝えたり、不自由を汲み取ってはいけません。
そして、全国のライブハウスさん。お客さんを狭い爆音の部屋に監禁せずに、せめて出入り自由くらいにはさせてください。


ミュージック・ファイター / JUDY AND MARY 1998年
06/17|MOLICE 07||TOP↑
バンドってのはやはり人がやるもので、メインを務めるメンバー以外のメンバーにもそれぞれ人生があるわけで、そんな脇を固めていた人の人生に迫ってみようかと思います。

おれの好きなバンドの中にアニマルズがありまして、このアニマルズとは、1960年代にビートルズやローリング・ストーンズなどと共に、世界で人気を集めたブルー・アイド・ソウル満点のイギリスのバンドです。
このバンドを語る上でまず挙がるのがVoのエリック・バートン、keyのアラン・プライスの存在かと思われます。
おれなんかも特に、エリック・バートンの声を聴いて、「なるほど、コレが本当に巧いボーカルなんだな!」などと妙に納得できましたし、数ある60年代のベスト・ボーカリストはおれの中では、このエリック・バートンかと思っています。
そんなアニマルズにはエリック・バートンやアラン・プライスの他に、ロックの歴史上忘れてはいけない人物がもう一人おりまして、その人というはBaのチャス・チャンドラー。
異様に背が高く、足も長く、しかしそのバランスがよろしくなく、現代日本人的観点から見たらマスクもけっこうなブサイクな部類に入ると思われます。
メンバーの中では最年長で、この時代にアイドルとして売り出すには25歳という年齢はなかなかの高齢だったはずです。
他のメンバーと比べても3歳から5歳は歳が離れていて、バンド内ではお兄さん的存在だったのでしょう。大変人望の厚い人物だったそうで、音楽的にもバンド内の意見やワガママをまとめながら引導していたようです。
肝心なベース・プレイなのですが、ドッシリとした安定感があり下手ではないけどこれといった華はなく、長身のせいか、デカイはずのベースをまるでギターもしくはウクレレのように構える姿はどこか不恰好にも見えます。
そんなチャス・チャンドラーの在籍するアニマルズは、アメリカの伝統的なトラディッショナルソングの「朝日の当たる家」がアラン・プライスのアレンジによってヒットし、世界的スターに上り詰めるも、2枚のアルバムをリリースして、相次ぐメンバーの脱退が原因で事実上解散になります。
アニマルズを脱退したチャス・チャンドラーは単身ニューヨークへ渡り、次なるスターを発掘し始めました。そこで天才黒人ギタリストを目撃し、母国イギリスで売り出すために連れて帰ります。
この天才黒人ギタリストこそが、かの有名な、ジミ・ヘンドリックス。
チャス・チャンドラーはこのジミ・ヘンドリックスを中心にベストメンバーを集めてバンドを組ませ、自身の在籍したアニマルズの成功に次いで、プロデューサーとしての成功も収めます。
2枚のアルバムをプロデュースした後の3枚目「エレクトリック・レディ・ランド」製作時に決裂し、その後ジミ・ヘンドリックスはドラッグのオーバードースによって死去します。
時は1970年代に突入し、新しい時代の波と共に現れたのがマーク・ボラン率いるT-REXです。このT-REXを目にしたチャス・チャンドラーは、そのイメージを元にSLADEというバンドを作り世に送り出すと、10年以上安定したヒットを飛ばします。近年(もう10年以上前だけど…)ではオアシスがこのSLADEの「C‘mon Feel The Noize」をカバーしていたことでも有名です。
80年代も半ばに入ると、アニマルズの再結成などで興行収入を稼ぎ出し、緩やかに晩年へと向かっていきます。
そして1994年、アニマルズはロック殿堂入りを果たし、その二年後にチャス・チャンドラーは心臓病で他界します。58歳でした。
ちなみに奥さんは元ミス・ワールド、この人は前妻で、その前の奥さんも確かメチャクチャ綺麗なモデルだかタレントだったはず。
欧米人の感覚は分かりませんが、チャス・チャンドラーという人は容姿に関わらず非常にモテたんですね。

バンド内では一見地味な存在の男の58年の人生は充実極まりないものだったようです。

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やはりアニマルズの代表曲といえばThe House of Rising Sun(朝日の当たる家)なのですが、チャス・チャンドラーのベストプレイといった点で挙げればWe've Gotta Get Out of This Place(朝日のない街)もしくはIt's My Lifeではないでしょうか。
しかしここでは、

♪It's my lfe, i'll do what i want
(おれの人生、好きにやる)

今日はこれがまるでチャスのために言っているようにも聞こえるので、It's My Lifeを推したいです。
ちなみにこの曲は、オリジナルメンバーでのアニマルズのラストシングルにして名曲です。
非常にシンプルでありながらもシッカリと耳に残るフレーズをチャスは丁寧に弾いています。
このベースのイントロからバンドの演奏がはじまると、ミディアムテンポの8ビートへと流れていき、いちばんの聴き所は、サビへ挿入する手前のオルガンとのユニゾンです。おれ個人としてはサビ以上にココのフレーズにいつもシビレます。
歌詞も、この世の中は決して楽なものではないけど好きに生きてやる。といった感じの内容で、そんな楽ではない世の中でチャスは充実した人生を手にしたワケですが、成功の秘訣が大きく三つあるように分析します。

・アニマルズで兄貴的存在だった人間性
・ジミヘンをイギリスへ連れて帰った直感
・SLADEをデビューさせた先見の明

この3つかと思います。
アニマルズとそれ以前の人生で培った人間性。まずここで多くの人からの信頼を掴んだことは間違いないと思われ、そこから派生した行動力の結果、ステキな人生を送れたのでしょう。

まだ先の長い人生、時折過去を振り返って、自分の人間性を見直すことも必要なのかもしれません。


It's My Life / The Animals 1965年
06/08|MOLICE 07||TOP↑
昨日、国分寺RUBBER SOULに来てくれたみなさん、どうもありがとうございました。
昨日もまた、非常に長いライブだったかと思いますがいかがでしたでしょうか?率直な感想をお待ちしています。
次回のライブも国分寺RUBBER SOULで、6月16日(土)21:00からとなっております。

俳優の石立鉄男さんが亡くなりましたね。
おれなんかの年代だとホームドラマの印象以上に、ワカメラーメンのCMの「ワーカメ好き好き。お前はどこのワカメじゃ」の台詞の方が印象にある人が多いのではないでしょうか。
しかし…お前はどこのワカメじゃって、なんか意味不明でスゲー台詞だな…
そんな石立鉄男さんは、恐らくおれが始めて憧れた男性像を演じる人だったように記憶しています。
小学生のおれは、モテ男像というものに対して、京本政樹風のシャープなルックス且つ甘い台詞といったコッテコテなものをイメージしていたおかげで、子供ながらに「おれの顔は切れ味もなくてユルユルだし、絶対にモテるタイプではないな…」と、奇妙な自覚を持っていました。
そこで、石立鉄男さんの演じる「ダメモテ」キャラに目が止まったわけです。
基本的にはダメなんだけど…時折いい事を言う。なぜかモテる。
この「時折いい事を言う」というところに、ルックスを抜きにこの人はカッコイイなと単純に思える瞬間があり、将来大人になったときに、この路線以外にはありえない…などと、モテたいなどという意識もない7~8歳くらいのおれは夢想していましたわけです。というか、今のおれが当時を振り返っての分析ですね。
まぁ男も女も同じ人間なので、男が惚れる男っていうのは、人間的に魅力があるので必然的に女にもモテると…そんなことを教えてくれたのが石立鉄男さんの演じていたキャラでしょうかね。
そんな教訓をその後、ちゃんと生かしてモテモテだったわけではありませんが、しかし、気付くのと気付かないのとでは、今の人格に大きな違いがあったはずです。

おれが、「やい、ちぃ坊!」と石立鉄男さんのマネをすると、ヘタクソなビートたけしのマネになってしまうみたいです。

合掌…

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モテ男と聞いて。真っ先に思い浮かぶのがセルジュ・ゲンズブールですかね。モテ男であることは間違いない人ですが、それ以上にエロとかロリコンといったイメージが非常に強い人です。
そんなセルジュ・ゲンズブールは1928年生まれのフランスを代表する作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優で、1991年にこの世を去った故人です。
歌手としてデビューしたのが1958年30歳の時なので、決して若くして成功を収めた人ではありません。戦時中の時代背景を別にしても、それなりの苦労と挫折は味わってきている人と思われます。
ゲンスブールが1965年、フランス・ギャルへ提供した曲、Poupée de cire, poupée de son(夢見るシャンソン人形)でブレークし、日本でも多く知られるようになると翌年に、Les sucettes(アニーとボンボン)という曲を提供し、18歳の少女ギャルに棒状の飴を舐めるという、フェラチオを連想させる歌詞の曲が物議を醸し出し、TVやグラビアで棒つきキャンディを頬張る姿を演じるギャル本人は、その意味に気付いていなかったらしい。
それ以降もゲンズブールは国民的美女を囲っていきます。
1968年にブリジット・バルドーと不倫関係になると、間もなくして映画で共演したジェーン・バーキンを手篭めにし、3度目の結婚で娘のシャルロット・ゲンスブールを授かるが、1977年に離婚。
その後、1980年以降は30歳年下の女性と同棲をはじめ、一男を儲ける。
娘シャルロットが大きくなると親子でデュエット曲を発表するが、それまでの素行から怪しい親子関係も囁かれた。
晩年は、おれなんかの年代でも馴染みのあるバネッサ・パラディの曲も手掛けています。
この人名義の代表曲の邦題で気になるタイトルを並べてみると卑猥で面白いです。

・唇によだれ
・69はエロの年
・アニーとボンボン(フランス・ギャルへ提供した曲を自身も歌う)
・海、セックスそして太陽
・中年アバズレ
などなど…タイトル以上に内容がエロい曲満載のゲンスブールワールドです。

特にエロムードを醸し出している曲は3番目の嫁さん、ジェーン・バーキンとのデュエット曲、「Je t'aime moi non plus」(ジュテーム・モア・ノン・プリュ)ではないでしょうか。
同名の映画のサントラで聴く事ができますが、ゲンズブールの作品を年代順に追ったベストアルバムをオススメします。(上記のタイトルの曲は全て収録)
フランス語が分かればいいのですが、内容を把握するためにも国内盤の和訳の付いたもので聴く事をよりオススメします。
官能的なバーキンの喘ぎ声を堪能してみてください。

ゲンスブールのエロい部分をピックアップしましたが、当然それだけでは語りきれない人物であり、偉大な人物なのです。

ゲンスブールにも石立鉄男にも、それぞれの魅力を武器にしたダンディズムがあると思います。
おれもそろそろ若さだけではない自分の武器を見つけなければダンディな大人にはなれません。


Je t'aime moi non plus / Serge Gainsbourg,Jane Birkin 1969年
06/03|MOLICE 07||TOP↑
プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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