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先日秋葉原に足を運んでくれたみなさん、どうもありがとうございます。
次回は今週末、横浜本牧に登場します。

おれは食べ物の好き嫌いがなく、出されたものは米粒一つだって残しません。
それでも子供の頃は小食で好き嫌いもありまして、そんな小食で好き嫌いもある子供のおれに、市の職員で給食の仕事も担当していた父親が言うのです。
「米という字は八十八というのを縦に書いて米と読む。それは農家の人が八十八日掛けて米を一粒一粒を作り上げる大変なものだからだ」
このような、どこの家庭でも聞かされていそうな説教じみた話を聞いて以来、あら不思議!おれは給食から弁当からメシを一切残さなくなったわけです。
メシを食っていて茶碗に米が残っていると、この一粒が八十八日…と頭の中でその言葉が回りだし、残った米粒が「食べてくれぇ…」とおれに囁くのです。
どうあれ食の恵みに感謝するということをちゃんと覚えたわけで、これは今でも父親から教えられたことで最も大事にしていることなのであり、飽食の時代に誇れることでもあると思っています。
好き嫌いがなくなり、食べ物に関して一切の文句を言わないおれなのですが、その反面、味覚が鈍いのでしょうか、食にこだわりがないのです。
こだわりがないおかげか、作ることに関心がなく自炊などした記憶がほとんどありません。
食べることには感謝するのですが、作る喜びとか食べてもらうという喜びの欲求がないのです。
なんかこれはこれで、人としてあまりよろしくないよな…なんて思うのですが、克服する気もあまりありません。
さらには、「好きな食べ物は?」と、聞かれると非常に困るのです。
嫌いなものが一切ないから好きなものも答えられない。
と、思っていたら、身近な友人が「お前、納豆好きじゃん」と、言うのです。
確かに…言われてみれば一日一食は必ずと言っていいほど納豆を取り入れている…そうか!おれは納豆が好きだったのか!と、やっと自分の好きな食品が納豆なのだと気付いたのが4年ほど前。
しかし先日、モリス内で、納豆は食品ではなく嗜好品である…なんて事が話題になりまして、再度困ったわけです。
納豆が食品でなければ、また好きな食品がなくなってしまうではないか!
また好きな食べ物を聞かれた時に答えられず、それを見つける旅に出なくてはならない。
納豆が嗜好品であるとすれば、おれは明らかに納豆中毒であり、納豆が好きなのではなく、納豆が依存している。と答えるのが正しくなる…
コーヒーに然り、チョコレートに然り、タバコに然り、これらのものを好きとも言うけど、これらは全て依存なのです。
ハンバーグやカレーライスには中毒や依存はありません。
そうか…おれの納豆好きは依存だったのか。と、考えながら、近頃は好きな食べ物を模索中です。
ちなみに、納豆が大粒であろうが小粒であろうが、高級だろうが安物だろうが、おれにとっては一言で「納豆」なのです。
そこにもこだわってません。実は、賞味期限もあまりこだわらないです。

マメなようで大雑把なおれを露呈する話でありました。

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音楽も食べ物のように、一般的に好き嫌いで分けられます。
おれなんかも食べ物の好き嫌いがないように、音楽に対する「嫌い」はないのですが、偏食である点は否めません。
好みの面で、始めは70年代の初期パンクからはじまり、そのルーツを辿って60年代のガレージロックに行ったかと思うと、その流れでサイケデリックに移行していきながら時代を追いつつニューウェーブ経由で、さらに逆の時代へ遡ってみたり…
このようにその時々で依存してしまうタイプの音楽ってありまして、近年はフォークやカントリーをベースにしたロックが納豆のように依存しているように思います。
それは、ボブ・ディランであったり、グレイトフル・デッドであったり、国内でははっぴぃえんどであったり…広くはトム・ウェイツやポーグスもそうだし、おれにとってはじゃがたらもポール・ウェラーもそんな気がする。
なんだか、これらの音楽には生活の汗と泥と埃といった労働者の匂いがするのです。
依存するほど好きなのに、これらの音楽をあまり自分では表現したいとは思わないのもまた不思議…
なんだか生活の中で、常に側に置いておきたい音楽がこの手の音楽達なのです。
その中でも取り分けCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)がお気に入りでして、そんなCCRのアルバムで最も好きなのが5枚目のアルバム「Cosmo's Factory」で、あまりに好きな曲が多いこのアルバムの中でも取り分け好きなのが「Lookin' Out My Back Door」です。
こんな曲を、たまたま立ち寄った粋なバーでバンドが演奏していたら酒もガンガン進みます。
CCRってスタジアムとかホールよりも、近所のバーとか喫茶店とかの生の音を聴きたい感じ。そんな夢のような話はまず無理でしょうけど…
でも、この曲の歌詞って生活の汗と泥と埃といった労働者の匂いというよりは、ちょっとクスリの匂いがします…これもまた当時の時代背景で生活の匂いなのでしょうか。

食事も音楽も食べず嫌いはいけません。
偏見や嫌悪感を振り払えば、見た目やイメージ以上に味わい深いものもあるのです。
2行で済む話をこんな長々と…


Lookin' Out My Back Door / Creedence Clearwater Revaival 1970年
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10/26|MOLICE 07||TOP↑
数少ないというか、雑誌としては唯一定期的に自ら買って読んでいた情報誌の「ダカーポ」が休刊だそうで、今後は芸能、政治等のスキャンダルに一層疎くなる予感がします。
過去に発刊されたダカーポの中で印象的だった特集は、2002年日韓共催ワールドカップの時の、全出場国国歌の歌詞の和訳と解説で、日本人の常識からは少し考えにくい歌詞から、各国の文化や風土を象徴した素晴らしいものまで楽しめました。ちなみにスペイン国歌には歌詞はなく、この号では歌詞の代わりに楽譜が掲載されていましたが、そもそもスペイン国歌に歌詞がないことの原因は、地域によって独特の言語を持つところもあるらしく、その言語を統一できないからだそうです。
と、このように酒の席での会話でしか役に立たない知識を注入してくれた楽しい情報誌の休刊は非常に惜しい限りです。
ダカーポが組む特集の中には老人介護、時の政治家、死後の世界からモーニング娘。まで、様々な角度から常におれの好奇心をくすぐってくれていたのです。

前置きが長くなりましたがこの間、飲みの支払いの時に予定よりも1000円安く済みまして、じゃあこの1000円で何かCDを買おうと思い、翌日CD屋さんへ立ち寄りました。もちろんこの金額で買えるCDというものは結構限られているのですが、遠足のおやつのようにラインを決めてCDを探すのもなかなか楽しいものです。もちろんはじめは中古で買えるものと考えていました。そんな中、ふとジャズコーナーへ立ち寄ると今はすごいですね!あらゆる名盤がジャンジャン安売りされているではないですか!著作権の切れた関係でしょうか…50年前以前の作品が1500円シリーズと銘打って、リマスターまで施されてボーナストラックまで追加されたものがズラーっと並んでいるんですね。
見ているとどれもこれも欲しくなってしまうのですが、「さすがに1000円のものはないか…」と思いつつもCD棚を眺めていると、ボーカルのコーナーにありました。
「RCA女性ボーカルシリーズ1000」
要するにRCAに所属していた女性ジャズボーカリストの1000円CDシリーズです。
正直ジャズの女性ボーカリストと聞いてピンとくるのはビリー・ホリディとブロッサム・ディアリーくらいかな…と言うくらいにこのジャンルに疎いのですが、並んでいるこのシリーズのCDの帯の解説を読みつつ、妙に色っぽいジャケに惹かれてコレを衝動買いしました。

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悩ましげな表情のジャケの通り、1曲目から悩ましくも色っぽい歌声のダイナ・ショアさんであります。
こんな素晴らしい音楽が新品で、しかもちゃんと解説も歌詞も付いていて1000円ポッキリで聴けてしまっていいのだろうか…しかし、音楽の価値なんてものは値段じゃなくて、聴く側の意思にあると思うのです。
もはや音楽を生活を削って買う時代ではなく、探せば必ず得られるという豊かな時代になったのだと思うのです。それは映画に然り本に然りです。
酒の席の会計で浮いたお金をきっかけに出会うことのできたこのアルバムには、値段以上の偶然性の高い価値があるものだと思うのです。
50年という時の洗礼を受けても尚、光を放ち続ける音楽というものは、次から次へと掃き捨てられていく大量生産のそれとはやはり違うものです。
どの曲がどうとかなんて感想を述べるのは愚問かな…とも思うのですが、7曲目の恐らくアナログではB面の1曲目と思われる「And Place I Hang My Hat Is Home」の、静と動の極端なまでの落差が非常にポップで、演奏と歌声の一体感を十二分に堪能できます。
この曲のポップ感覚は、ビョークの「It's oh So Quiet」の感じと伝えると分かりやすいでしょうか…
なにはともあれ、つい何日か前まではこのダイナ・ショアさんのことは知りませんでしたが、51年という時を経て異国のおれが知ることができたということは、それはおれにとっては出会いであり、とても素晴らしいことに思うのです。
音楽との出会いはまるで人物との出会いのようだ。
今このCDを聴きながら、自分の両親がまだ少年少女だった頃と同じ空気を吸っています。

ダカーポの休刊は残念なのですが、このダイナ・ショアさんのCDと出合えたのと同じように、次なる興味惹かれる情報誌との出会いを待ちわびています。
っていうか、ダカーポの早期復刊を待ちわびる…

追記です。
いつも10回区切りで過去10回分のブログをまとめていましたが、今回からはまとめずにサクサクと書いていこうかと思います。
明日は秋葉原clubGOODMANにてライブです。
詳細はモリスHPにて。


And Place I Hang My Hat Is Home / Dinah Shore 1956年
10/17|MOLICE 07||TOP↑
去る二ヶ月前、夏に参加させていただきました、サマーソニック07の模様を音楽専門チャンネルのスペースシャワーで放映されたらしく、先日遅れてその映像を観ました。
やはりこのブラウン管(我が家のテレビはもらい物の91年製造)を通して見る自分という感覚はどうしても慣れないってかスゲー変!
ブサイクだしキモイし汚いし、まぁなんてヒドイ顔してテレビに映ってんだ…と、まず演奏以外の部分で驚愕し、けっこうへこんでしまったのですが、周りの方々はこんな無様なおれの姿と顔を普段からフツウに見ているわけですね。
こりゃ遠慮して生きていかなきゃいけねぇな…とまでは思いませんが、自分の容姿について少しは考えた方がいいのかな…なんてことも全く考えていません。
だってコレが素なんだからしょうがない。
この感覚はなんだろう…子供の頃にふざけて自分の声を録音して聞いてみて、「なんだこのひどい声は!」と感じるのと似ている…あの時は「もう二度と人前で喋るのはやめよう…」と心に誓ったものです。まぁ二秒後にはフツウに「おれの声って変じゃね?」とか言って誰かと話しているのですが、その声が変なんだっつーの!
とまぁ、そんなことを考えていると、モデルとかタレントって職業の人はスゲーな!なんてことを思うのです。だって、そんな自分の佇まいとか表情の作りを常に細かくチェックしているわけだもんね。
なんかそういう職業の人に、フツウの人とは明らかに違うオーラがあるのにはちゃんとこういった根拠があるんだな~なんてことをふと思ったんですね。
たぶん誰だって自分の姿とか声を客観的に見たら変に思うだろうし、そう思えばあまり見たくないし聞きたくないと思うはずなんだよね。でも、その変って思うところを思いっきり直視して他人にも見せれるように直していく職業がモデルやタレントなわけでしょ?そりゃあ容姿も磨かれていくわけだし、見られる事に自信が湧いてくるわけだね。
最近なにかと話題になっていた、沢尻エリカや神田うのだってきっとそういった努力は怠ってはいないだろうし、側近の人からコマゴマと爪の長さから枝毛まで指摘もされることでしょう。おれだったらストレスで爆発しそうです。
なんかそんなことを思うと、全然女王様でもイイっすよ!とか、数億の披露宴もイイんじゃね?なんて思えてしまう。
だって、それに見合う自信があってそれを職業としていて、その上でそれらの話題をドーンと提供しているわけだからね。
大したもんだなって本気で思う。
モデルやタレントじゃなくても日本人って世界的に見てもけっこうなオシャレ民族のようで、即ちそれは我々日本人は他人に見られるということを意識する民族ってことなのですが、見られることをみんなが意識しているということは、逆におれも誰かに見られて比較の対象になっているのかも…そう思うと自分の映像を観て客観視できるのだから、変!って思った部分は直していかないとイカンのかな…なんて思いつつも、そんな小せぇこと言うんじゃねぇよ!って耳の奥で囁く悪魔が存在しています。

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容姿って年齢じゃないんだよね。諦めちゃえばその瞬間からセンスも肉体も心も老けていく。それは別に禿げたとか、太ってるとか、30歳超えたからとか40歳になったからとか、そういうことじゃなくて、内なるものだとおれは思う。
始めから容姿に対して諦めてる人もいれば、結婚を期に諦める人、逆に子供がいて大変でも維持できる人、それは様々で、諦めた人もまた新しい自分の個性を見つけているのかもしれないし、もしかしたらそれを「諦め」というマイナスな言葉で表す事が相応しくないのかもしれない。ここで言う「諦め」というのは大人ということなのかもしれないので、そこはおれがまだ踏み入れていない領域だから、どうしても自分の視点と経験のさじ加減のみになってしまう。
それを踏まえた上で、年齢という数字で区切られたラインではなく、自分の目線というものを年齢のラインではなく、常に同じ高さに置いていれば老け込むことはないのだとおれはいつしか思うようになったけど、これはとても大変なことなのだと同時に思うのです。
いまやグラビアアイドルのほしのあきや、元ジュディマリのYUKIちゃんなどは年齢というラインに関係なく超アイドル級に人気があり広い年齢層に支持され、10代の股間を熱くさせるに充分な魅力があり、おれもまた応援したくなってしまう。
そんなラインを打ち崩した最初の人がブロンディのデボラ・ハリーに他ならないと思うのですが、それは、この人がおれの母親と同じ年齢であるという個人的な背景もありつつ、さすがに今ではババァというか、むしろバァさんの部類ですが未だに性的な魅力と面影を感じるのです。
ブロンディがニューヨークで有名なライブハウス、今はなき伝説のCBGB'sでのライブ活動を経てデビューした1976年でデボラ29歳。世間に認知され始めたのが31歳。世界のセックスシンボルとして唇に保険を掛けたのが32歳(だっけ?)
20代はウェイトレスやヌードモデルを経験してきた苦労人。だからこそ諦めが悪い。若くしてチヤホヤされてきた人とは少し違い、いい意味で並ならぬ意地と諦めの悪さがあるのだと分析します。
交際していたブロンディのメインソングライターでギタリストのクリス・ステインが白血病という難病に侵されたときにも、デボラ・ハリーは献身的に看病したというエピソードもまた男心をくすぐられてしまう。
そんなデボラ・ハリーがウェイトレス時代の回想(と、思われる)を歌っているのがブロンディの4枚目のアルバム「Eat To The Beat」の1曲目に収録でシングルカットもされている「Dreaming」
クレム・バークのドラムがキース・ムーン張りに炸裂するナンバーです。
♪空想するのはタダ…
なんてことを、貧しかった時の空想を現実に手にしたデボラ本人が歌っているわけだからリアルなのです。そこにこの人の貪欲さを伺えて、個人的にもブロンディの中では非常に好きな曲なのです。

要するに、何かを頑張ってたり、夢中になってたり、ムキになってたり、バカバカしいっていうか「バカ」って率直に言われちゃうような人っていいよね。ってことなのかな。
そこには美人とか不美人は関係ないし、顔つきなんてやってきていることで全然変わるものだと思うのです。だからおれは、自分の動く映像を客観的に観て、自分をブサイクと感じてしまったので全然まだまだなのです。
だから成功を収めた人っていうのはキレイなんです。その過程に苦労や挫折もたくさんあって磨かれればなおのことキレイに映るんですね。
だからデボラ・ハリーはババァでもおれの中では磨きに磨かれた永遠のアイドルなんです。
ちなみにここから余談ですが、デボラ・ハリーのイメージをより若い娘に投与して誇張したのがあのマドンナです。ちなみにおれはマドンナにも本能がやられっぱなしです…


Dreaming / Blondie 1979年
10/13|MOLICE 07||TOP↑
ブログを書くのが少し久しぶりです。
最近は公私共に忙しくしてまして、日々思うこともたくさんあったのですが、パソコンに向かう時間も少なくなかなか手が付きませんでした。

近頃、いや、ここ数年、缶コーヒーやビール、ペットボトルなどの飲み物を買ってみようものなら無理矢理にでもくっ付いてきてしまう、キャラクターの人形や携帯ストラップの数々…いつもこれらのモノの処分に困ってしまう小心者のおれです。
先程も、お徳用の缶コーヒーの6本パックを買ったところ、非常に困りものの巾着袋が箱に張り付いていることに気付いたのが家に帰ってからでした。
これを捨てるべきか否かで悩みつつ、冷蔵庫に巾着袋を保管中です。
でも、こういうものを集める人がいるからくっ付いてくるのでしょう。
そんなおれも以前、80年代のプロ野球選手のフィギアをバカバカしいと思いながらも全部揃えてしまい、置き場に困ってトイレに並べて飾っています。
好きだった付録もありました。某清涼飲料に付いてきていた付録で、飲み終わった空きペットボトルを使った化学系の実験器具なのですが、数種類ある中で、おれは渦の仕組みが目で見て分かるというなかなか面白いオモチャをゲットし、風呂場で延々渦作ってを眺めて遊んだりしていました。
タダでもらうものというのは困るものが圧倒的に多いのですが、中にはタダ以上の活躍を見せる付録ってあると思うんですね。
例えば、風邪を引いた状態で出かけたものの、ポケットティッシュを忘れてしまい、買うべきか否かで悩んでいるときに街中で配られているティッシュは非常にありがたく、広告の付録という形のティッシュがタダ以上の価値を発揮しますね。
そして昨日、国分寺に3店舗ある、多摩地区では有名な某レコード店でCDを購入したところ、ここの店主が選曲したサンプラーCDをいただきまして、これが非常によかったです。こんなコンピレーションがあったら買ってしまいそうなくらいに良かったです。内容はジャズからテクノ、ヒップホップにロックにJポップ…とジャンルは広くも不思議と統一感のあるCDでして、初めて聴く曲もあり、知っている曲にも発見があり、これはまさにタダ以上の価値を発揮しているものでした。
このサンプラーCDには、店主の「多くの人にいい音楽に触れて欲しい」という気持ちがあるからタダでにも大きな価値が感じられるのだと思いました。

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そんな昨日いただいたサンプラーCDの中に、自分でCDやレコードを所持しているにも関わらず、そのカッコよさを見失っていた名曲がいくつかありました。
その一つがThe Byrdsの「So You Want To Be A Rock N'Roll Star」なのですが、オリジナルアルバムの「Younger Than Yesterday」では1曲目に収録です。このサンプラーCDを聴いている中で不意にこの曲のイントロが流れると、「おぉ!この曲ってこんなにカッコよかったんだ!」と、新たな発見です。
なんかこの感じって、ふと立ち寄った古着屋のセンスのいい店員セレクトでかかってる曲に反応したりとか、イベントのDJが不意に好きな曲を流すときの感じに似ている。
なんだか音楽って、やっている人じゃなくても聴く側のセンスでも聴こえ方が違うんだな…なんてことの発見でもあり、タイミング一つでその意印象も大きく変わるものなのだと改めて実感しました。
他にもCANやKISS,De・La・Soul,Jaco Pastoriusなどなど…お馴染みの曲から知らなかった曲まで満載で、買ったCD以上に聴いちゃってます!
音楽はやっていても聴いていても、継続の中に発見があるので辞めることはきっとありません。


So You Want To Be A Rock N'Roll Star / The Byrds 1967年
10/10|MOLICE 07||TOP↑
プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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