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もうおとといになりますが、高円寺までお越しいただいた皆さん、どうもありがとうございました!
12月のライブの詳細はHPでご確認ください。会場でまた会いましょう!

石油の価格の高沸は一体どこまでいくのだろうか。
灯油でさえリッター90円台なんてレギュラーガソリンですか?って言いたくなる価格じゃないですか!
これって人間が飲むものより全然高いですよ!
中にはウーロン茶とかコーラで車って走らねぇかなぁ…なんて考える人もいるんじゃない?
車で各地へツアーに出ているバンドの多くが悲鳴を上げています。だって、ここほんの数年で50%以上の値上げだからね。
まさに骨までしゃぶられているといった状態です。
おれもボロバイクに乗るので他人事ではないですが、それでも自宅から国分寺もしくは、自宅から吉祥寺の区間しか乗らないので、それほど生活に打撃は受けていません。
我が家で暖房といえば随分前から電気とガスなので、灯油の影響もそれほど大きくはないのですが、雪国の人達にとっては大打撃なんじゃないかな。
土日しか乗らない車を維持してる人の中にも、そろそろキツイって人は多いのではないでしょうか?
下手したら、自分の食費以上に車のガソリン代の方がかかってるんじゃないの?
れでなくても、年間に支払う税金以上の車検と維持費を払う人も事実たくさんいるわけだしね。
まぁバンドも維持するのに、けっこうな時間とお金を要するので、そっちの方がバカバカしいと言う人も大勢いそうですが…
世間では原油高沸の原因をアレコレと言われてはいますが、これは振るいに掛けられてるわけですよ。
車を持たなきゃいけない人間と持ってもいい人間、それから持つ必要のない人間をね。
東京をはじめとした都市部に住む人間の多くが、けっこう車を持たなくてもいいんじゃないですか?
みんな電車とかバスとかタクシーを使えば、道も随分と空くわけだし、それだけで全然快適な気がするんですよね。空気もきれいになるわけだし。
普通免許は教習所に通えば取れるけど、その上に、車を持つための審査とかあればいいのにね…なんてことをたまに思う。
「あなたはセルシオまでのランクなら維持してもいいですよ。フェラーリですか?もう少し頑張る必要がありますね」とか、
「うーん、キミは軽で精一杯でしょ?遠出の際には一般の交通機関を利用ください」とかね。
そんな中でも自分で車検も済ませれる人はワンランクアップとか。
もちろん年金はおろか、子供の給食費も払わないような人には車の維持権利を与えない…なんてすれば、世の中には意外と物資でステータスを求める人が多いから、みんなシッカリ払うんじゃないかな?
本当は車なんて、自分が乗りたい車種に乗ればいいんだろうけど、車ってそれなりに高価なもので、義務を怠ってまで維持しちゃう人もいるわけだから、それはそれでアリかな?なんて考えたりもしまして、じゃあバンドやります!ってギターを買いに楽器屋に行ったら…
「キミ収入どんくらい?ギブソン?ビンテージ?ちゃんと税金払ってんの?」
なんて聞かれたりして、ライブハウスに出るバンドは、みんな決まって5万くらいのギターなの。
たまにオールドの高いギターなんか持ってる人が来たら、それだけで「おぉ~!」とか言いながら、黄門様の印籠状態の如く、みんなひれ伏せちゃって、ライブ中も演奏よりも楽器を見てるみたいな…でも直後に盗難騒ぎでしょうね。
まぁ音楽はソウルですから!弾く人が弾けば、安価なギターでも値段以上の音を出せるわけで、楽器は自分でメンテナンスなりして愛情を注いで育てていくわけですな。

しかしまぁガソリンが恐ろしく高くて驚きます。
これを機に、みんな車を置いてクリーンな暮しに切り替えよう!などと言うおれのこの部屋は、タバコの煙でモクモクなのでございます。
換気しよう…

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書いているうちに思ったのが、やっぱりおれには車は持てません!だって最近は飲酒の規制も厳しいですからね…
出先では10中8、9酒を飲むおれには車を持つ資格はないと…でも、あまり車を欲しいと思わないから前半で書いたようなことが書けるわけで、車も運転も大好きだったらきっと書いてないし、もっと肯定的に考えが働いていたはずです。
そもそも運転って怖くてダメなんですね。何が怖いって、万が一の事故が常に怖いんですよ。
子供とか老人とか轢いたらどうしよう…いや、轢くんじゃないか…そこの車の陰から子供が飛び出すんじゃないか…とか、そんなことをやたらと考えるから、妙に運転がオドオドしていて、後続車とかに迷惑掛けてしまうんですね。
やっぱりおれは酒を飲んで、電車とかバスとかタクシーなんかに乗ってるのがいちばん安心です。時間も正確だしね!
で、酒といえばトム・ウェイツ。トム・ウェイツで電車の曲といえば「Downtown Train」
電車じゃなく車だとビートルズの「Drive My Car」か、ストーンズの「Brand New Car」を連想したのですが、今日聴いてるのはトム・ウェイツの1985年の名盤中の名盤、「Rain Dog」でございます。
この「Downtown Train」という言葉の響きで、都電荒川線を連想するのですが、トム・ウェイツはニューヨークのブルックリンを走る電車のことを歌っております。
ニューヨークへは行ったことがないですが、その景色を勝手に想像すると、地下鉄丸の内線が池袋から発車して、後楽園辺りで地上に出る景色を連想します。(なんか分かりにくいか…)
音楽を聴きながら本を読んで電車に乗ることが多いですが、たまに車内が静かだと線路の音を聴きたくなりますね。ポイントを通過する時の音と揺れを感じてみるのも一興。
電車に乗った時の好きな場所と時間帯というのがありまして、午後1時から3時くらいに席はスカスカに空いているのに、敢えてドアのところ(女性であれば満員時に痴漢に遭いやすいといわれる場所)に立って、高架を走る遠くの景色を見るのが好きです。
昼間でこの場所だと遠くまで景色が見えて、そこで聴いてる音楽と景色が合うと、なんかその場所と視界の空間を独り占めした気分。
ちなみに今思ったのは西武池袋線の練馬高野台辺りから中村橋とか桜台辺りの感じの景色。分からねぇかなぁ…
あくまで陽の高い昼間の時間帯が好きなので、これが夕方だったら黄昏ちゃいます。
やべぇ!「Downtown Train」を聴きながらこの感じをやってみたくなる衝動に駆られてますが、やっちゃダメなんだよね…偶然そうならないとね。
たまたまその時間に、その場所に居合わせて、たまたまそこを通過するときに、イヤホンから「Downtown Train」が流れてくる。この偶然じゃないとダメ!演出なんかしたらバカバカしくなって空しくなるだけよ。

石油もあと数十年で枯渇するっていうし、かといって次に代わるものがないんだったら、限られた資源の消費を極力抑えて、少しでも次の世代に持ち越せるように…なんてたぶん誰だって考えてることなんだよね。
石油価格の高沸もまた、消費社会への警鐘のような気がしてなりませんが…


Downtown Train / Tom Waits 1985年
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11/30|MOLICE 07||TOP↑
昨日、秋葉原clubGOODMANに来てくれたみなさん、どうもありがとうございます。
来週も2本のライブがありますので、詳細はHPの方でチェックしておいてください!

江戸川乱歩の小説に鏡地獄という話がありまして、この話は、子供の頃から鏡やガラスといった類のものの魅力に取り付かれた青年が、その嗜好性が高じるとやがて自宅の庭に、内面が鏡になっている球体を作り、その中に閉じこもるとその青年は…
といった内容でして、この江戸川乱歩の本を、去る10年程前におれに薦めてきたのは実弟だったのですが、というのも、
「内側が全面鏡になっている球体に入ったらどんなふうに見えると思う?」
と、他愛ない会話の中でおれが聞くと、
「なんだ兄貴は鏡地獄でも読んだのか?」
と返され、知らなかったおれは「なにそれ?」
と答えると、「鏡地獄を読まずにその発想が生まれるとは狂人の素質があるな」
と半ばバカにされながら差し出されたのがこの本だったのですが、この話を弟にする前に古い友人とも話してまして、この時におれなりに、この球体に入った時の様子をイロイロと想像していたわけです。
で、相当考えてから、この時一つ結論に達しました。
真っ暗ですわ。
光がなければ何も映らないというものすごい単純な結論が出まして、その友人と、
「おぉ!そうか!これが科学ってヤツだな!」
なんてバカな事を話していたのです。
すると、当然次の発想が浮かぶわけです。
その球体の中に明かりを持ち込んだらどうなるのか…?
もうわけが分からないですね。
球体の中で光が反射しまくって真っ白になるのか…反射した光が集まりすぎて、そのまぶしさに下手したら目が潰れるんじゃないか…鏡に映った光にはどれだけの奥行きがあるのだろか…はたまた、どの方向にも合わせ鏡のように無限に自分の姿が映るのか…
待てよ。電球をどの位置に照らすかで変わるんじゃないか…?
球体の内側上部に取り付けるのか、懐中電灯を持って入ったとすれば、胸の辺りの持つか、頭の上に置くのか…それだけでも違うはずだ。そういえば影はどうなるんだ…?
ずっと結論が出ないままで、弟にも聞いてみた運びだったのですが、なんだ、江戸川乱歩の鏡地獄に答えがあるのか!と思って早速読んだところ…結論はナシ!
弟がこの本を差し出したのは、そんなことを考えてもしょうがないよ。ということの意思表示だったのでしょうかね…
鏡地獄を読み終えたおれは、その場でコケて、好奇心もはいそれまでよ。
でも、それまではノンフィクションし読まなかったおれも、ホラーやサスペンスも読むようになりました。

そして今日、ついに科学的に解明されたのです!
後半に続く…

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鏡って事で、キンクスのプリザヴェイション・アクト2に収録の「Mirror of Love」
自惚れ屋で鏡の中の自分に恋しているって曲ですね。
このアルバムは、名盤と名高いヴィレッジグリーン・プリザヴェイション・ソサエティと、プリザヴェイション・アクト1の複線にあるアルバムでして、演劇思考の強いレイ・ディヴィスの傲慢さが絶頂に達していた頃の作品です。
仕事と趣味を兼ね合わせ、生活の全てをここに捧げたために、家に帰ることがほとんどなくなったレイ・ディヴィスは、ちょうどこの直前に奥さんと子供に逃げられ、メンバーとも関係が悪くなり、弟でバンドのギタリストのデイブ・デイヴィスとの確執も悪化の一路を辿っていきます。
レコードセールス的に芳しくなかった70年代、RCA時代のキンクスですが、ライブに於いてはレイ・ディヴィスの演劇思考によるストーリー展開が組み込まれたステージの評価が非常に高く、リピーターも多かったようで、興行的には成功していたらしいのです。
語られることの少ないこの時期のキンクスですが、レコードよりもライブに宣伝費を注ぎ込んでいたんでしょうかね…でも、長い歴史のあるキンクスの中でも、おれは個人的にこの時代のキンクスがいちばん好きです。

さて、鏡地獄話の後半です。
それでも時々思い出しては、飲みの席なんかで球体の鏡の話をし、もちろん納得のいく答えなど誰からも出るはずもないのですが、昨日、この疑問について話していたある友人からメールをもらいまして、何かのバラエティ番組で、実際にこの球体を作って中に入るという企画があったとのことだったのです。
おぉぉぉ!マジか!つい今、キンクスを聴きながらインターネットで調べてみると、その時の放送の動画が簡単に見つかりました。
見れた!分かってよかった!マジ感動です!
でも…どうしてそうなるのかという説明まではなかったので、やはり不思議と謎でいっぱいです。
内部を照らす明かりは球体内上部に設置されているものでした。
球体の中に入るタレントは頭に固定のカメラを設置、もう一台固定カメラが球体の上部にも設置され、いざ内部が球体上部の固定カメラで映し出されると、あれ…なんか普通、ぼやけてるだけじゃない?と、思うと、一つ気付いた。影だ。影ではなく、上部に明かりがあるために座っているタレントの下に姿がぼんやりと映し出された。ナルホド!これで黒いのが普通の影なのね。待てよ…どうして影って黒いの?いやいや、マズイマズイ…おかしな連鎖が起きそうだ。
今度はタレントの頭部に設置したカメラが映し出され、タレントが球体の面に近づくと顔は鮮明に、離れていくと顔がぼやけていきながら姿がどんどん大きくなっていく。球体の中心では身体の前後が同時に映るポイントがあり、球体の中心を超えたところで上下が反転し、実際の球体の大きさ以上に奥行きがあるような印象を受ける。奥行きがあるように感じるのは鏡なんだから当たり前か…
タレントがスゴイことを言い出した。
球体に背を付けたような状態で正面を見ると、正面に自分の姿がそこに「居る」そうだ。本人は「3Dだ!」と言っている。
実験が終了し、球体から出てきた本人の結論は、「鏡張りの球体の中で人は、逆さに立体的に映る」だそうだ。
さすがにその感覚というのは実際に自分が入らなくては分からないだろう。
将来的に3D映像のテレビなんかが作られるとしたら、この仕組みを利用して作られるんじゃないかな…なんてことを思いました。
きっとおれだけじゃないと思う、鏡地獄を知る人、またはこの発想を持ち合わせている人の多くが疑問に思っていたことの結論が見れて少しスッキリしたのと同時に、なんだか恐ろしいものを見たような気持ちにもなりました。

鏡の世界とかって何かと謂れが多いけど、もしかしたら見てはいけない世界だったのかもね。
逆さに映った自分が、自分本人と入れ変わっちゃったりして。
Mirror of Loveで歌われているように、鏡の中の自分にウットリしているとしたら、それは、もしかしたら自分とソックリな形をした何者かの誘惑なのかもしれませんよ。

この放送された動画が見たい場合は、YOUTUBEで「鏡地獄」と検索してみてください。
※バラエティなので、怖い映像とかではありません。


Mirror of Love / The Kinks 1974年
11/22|MOLICE 07||TOP↑
相変わらず食に関心のないおれは、レトルトのカレーに納豆をぶっ込んで食ってます。
食にこだわりのないおれは、当然飲むことにも関心がなく、自宅では酔えればいいという発想で安酒しか飲みません。
そんなわけで、家でビールを飲むといえば8割は発泡酒。たまに普通のビールを買って飲んでみても、多少の違いは感じるものの、全然発泡酒で事足りてしまうので安上がりです。
巷に発泡酒が出まわり始めた時には、その違いが味覚音痴なおれでも容易に分かったものでしたが、近頃の発泡酒は、製作者の方々の素晴らしい研究の努力によって、どんどん質が向上され、そのためにライブハウス等でビールと言われて発泡酒を出されても、それが発泡酒であるかも気付く自信がございません。
そんなおれの自宅一人飲みの基本スタイルは、まず発泡酒350mlを二本空けます。
ライブで言うところのリハーサルと本番直前のアップみたいなものでしょうかね。
ブログを書くときは、ほろ酔い程度のこの状態で書くことが多いです。
さて、パソコンを閉じまして、ここからがおれの飲みライブです。
酔うことに関して即効性のある安ウイスキーをリポビタンDで割るという飲み方を自宅では嗜むのですが、多い日でコレを二杯、その後はロックでチビチビと飲んで、アコースティックギターを近隣の迷惑も顧みずにジャンジャンとヘタクソに鳴らして、ボブ・ディランになりきったところで酔っ払って寝る。
昨年末辺りからでしょうか、リポビタンDよりも強力とウワサのレッドブルなるものがコンビニに並ぶと、真っ先に安ウイスキーのレッドブル割りに挑戦しました。
この組み合わせは非常に酔いの回りも早く、画期的な飲み方かと思いきや、翌日は滝のように下してしまいまして、腸内が軽くなったものの、それ以来この飲み方はしていません。
安ウイスキーのレッドブル割りは、便秘の方に激しくオススメします。一発解消です!
後に聞いた話では、レッドブルはウォッカで割るといいと聞きましたが、こちらはまだ試していません。
相変わらず、タイの労働者も愛飲するという、安ウイスキーのリポビタンD割りに落ち着いています。
酒は平均よりは飲みますが、大酒飲みというほどではなく、休肝日もちゃんと取っています。
そんなおれがワインとなると、その味などが分かるはずもなく、高級でも安物でも単に「ワイン」でしかないんです。
体質なのか、ワインは飲みすぎると翌日頭が痛いのであまり好きではないです。
で、ワインといえばボジョレー・ヌーヴォーですか?
一体何を騒いでいるのかがおれにはさっぱり分からないのです…
一部ではこの輸出量の大半を日本が占めているとか、海外で飲めば日本で飲むのの数分の一の値段(物価の問題でなく)で飲めるとか、最近ではウワサも報道もどれが本当なのか分からんなぁ…なんて事を思うのですが、そんなボジョレー・ヌーヴォーを過去に一度飲んでみたことがありまして、うーん…何をそんなに騒ぐのか分かりません。
ボジョレー・ヌーヴォーを毎年心待ちにしている方がいましたら、その魅力をぜひ教えていただきたい。
先入観で美味いものって思えるかもしれない!

ちなみに焼酎は芋よりも麦派です。

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このアルバム久々に聴きました。やっぱりゆらゆら帝国はカッコイイですよ。
音楽はもちろん、デザインからルックスから歌詞まで全てにオーラと人間の狂気を感じます。
どこから切っても全てに抜け目がなく、まさに唯一無二ところがスゴイですね。
普段あまり清涼飲料って飲まないんですが、久々にコーラを飲んだら頭が炭酸になりました。
あれ…リポビタンDって炭酸入ってるね。ビールもじゃん!
そんなゆらゆら帝国の「頭炭酸」に反応してしまい、テレビ番組の話です。
前にタモリ倶楽部の飲み企画で、炭酸水で飲むっていうのがありまして、安い焼酎をいろんな種類の炭酸水で割って飲んで、酒を楽しむのではなく、製造元の違う炭酸水の違いを味わうという、おれも真似してやってみたくなっちゃいそうな大変面白い企画でした。
その中の余談で、安いワインを炭酸水で割ると高級シャンパンの味になるというシーンがありまして、なんか、プリンに醤油をかけるとウニの味がする…みたいな子供の発想だよな。なんて思いつつも少し気になっちゃったりして…
しかし、おれにはシャンパンも味の違いが分からない…
そのうちニュースで、「安いワインを炭酸水で割ったものを高級シャンパンとして偽造販売、製造元の社長を逮捕」とかなったら笑うけどな。
まぁおれは、安いワインを炭酸水で割った高級シャンパンで騙されたままでも全然いいんだけどね。

なんかダラダラとくだらない酒の話ばかりでした。


頭炭酸 / ゆらゆら帝国 2001年
11/19|MOLICE 07||TOP↑
おととい、下北沢ベースメントバーに来てくれたみなさん、どうもありがとうございます。
来週、再来週とライブは続き、月が変わると同時に国分寺へ戻って参ります。お楽しみに!
おっと、気付けば半月もブログを書いていないではないか!
最近は忙しく、そして楽しく過ごしていたのですが、その中でもっと感受性の電波をビンビンに張り巡らせなくてはイカンね。なんてことを思って生活しておりました。

昔から思うことがありまして、どうして小便した後に手を洗うのか。
おれは手を洗わなくてもいいいと思う!
なんて事ではなくて、順序が変!ってことを昔から思っているのですよ。
おれは、小便した後じゃなくて、小便する前に洗う方が正しくない?って思うんですね。
と、いうのは、ポコ○ンってモンは非常に大事なところなわけで、常に清潔にしておかなくてはいけない場所ですよ。それが女性であれば構造的にも尚のこと。
どういうわけか、あちこちベタベタと触れている手で触って小便しておいて、キレイにしておいて当たり前のポ○チンに触れた手を洗う…
絶対に逆をするべきだと思うわけですよ。
中には、おれはポコ○ンに触れずに小便するから手は洗わねぇ!ってやつもいるし、便所に行って尿や便が付かない限り洗う必要はないと思ってる人はゴマンといることでしょう。
そもそも学校や家庭でも、その理由を親や先生も分かっておらず、まるで言い伝えやら伝説のように、「トイレに行ったら手を洗いなさい!」しか言わない。
例えば、風呂上りの子供がポ○チンを無造作に弄っているときに注意すべき言葉は、「汚いから触るんじゃないの!」ではなく、「ばい菌が入ったら大変でしょ!」が正解だと思うんですね。
やはり汚いものではなく神聖なものとして教えるのが正しいとおれは思うなぁ…
テレビでモザイクが入るのも、「あまりに神秘的だから他人のは容易に見たらダメなんだ」って教えりゃいいんだよ。
汚くて目触りなものっていう認識が根本的に間違ってると思う。
でもおれは、酔った勢いで脱ぐやつとか、テレビでモザイクが入るときってのは、反射的にゲラゲラと笑うんだけどね。
おれもおれで、目障りで汚いものっていう認識をいつしか植え付けられてしまったってことなのかもね。
仮にっていうか絶対にいると思うけど、「ポコ○ンに触っておいて手を洗わないのはヤダァ~」なんて言うやつは、他人とは握手もできないですよ。
だって、間違いなく男の半数以上は小便した後手なんて洗ってないからね。
おれですか?おれは五分五分で状況と気分ですな。

もうどっちが正しいとか考えるのは面倒だから、小便する前と後の両方に手を洗うのが常識って事にしちゃえばいいと思う。
そんな中でも、やや小便前推進派のおれです。
そこに血眼になるほどのこだわりがあるわけではありません。

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新しい概念っていうのは、受け入れるのはきっと誰でも恐ろしいもので、少し触れてみて「大丈夫かな…」って安全を確認してみてから理解し始めるんだと思う。
この、リンク・レイの曲がインストであるにも関わらず、当時ラジオで放送禁止になったという話を古い友人から聞いた時には笑った。
どうやら、彼のギターサウンドがあまりに凶暴的であるために、各ラジオ局が彼の曲を流すことを自粛したそうで、それまではというか、今でもそうだけど放送禁止といえば、卑猥であったり、犯罪を助長するような言葉や、偏った思想を歌う曲が放送禁止の対象になっているわけだけど、音のみの音楽で放送禁止になったという事は、ここには新しい概念が誕生した瞬間であったのだとおれは思う。
それがやがて徐々に認知されていき、音の凶暴性は娯楽として世間に受け入れられて多様化していったわけですね。
おれはこの人の音楽をオールタイムで知っているわけではなく、断片的にしか分かりません。
患った結核が原因で歌うことを禁止されて、ギターインストで勝負したというところにも、そのもどかしさと魂がギターに伝わっているわけですな。
それで、どの曲が放送禁止になったのか、全面的にそうだったのかはおれ自身定かではなく、この曲です!って提示できないのですが、それでも代表曲の曲の一つ「Rumble」を聴けば、その時代背景なども含めて雰囲気は伝わってきます。
今の時代の概念で聴いて、「なんだ、これが放送禁止?全然フツーじゃん」ではなく、その時代に立ち返って音楽を聴いてみるというのもけっこう大事なことですよ。

今になって急に、トイレに入る前に手を洗うことが常識となれば、当然みんな戸惑うわけだし、それが30年後には「昔の人は便所出るときに手洗ってたんだって、意味ないじゃん…」なんて笑われているかもしれない…


Rumble / Link Wray 1958年
11/15|MOLICE 07||TOP↑
先週末、あの悪天候の中、はるばる本牧までお越しいただきありがとうございます。もちろん近くにお住まいで足を運んで観てくれた人にも大変感謝です。
次のライブは来月11月になりますので、HPをチェックしてみてください。

先日、コンビニで買い物をしていると、まるで機械のような店員さんの応対に、90歳近いだろうか…杖をついた婆さまが買い物を済ますと、そのマニュアル通りの店員さんに対し、丁寧に深く頭を下げているのを見ました。
その後、とある街の外国人が経営するカレー屋さんで食事をしていると、60歳手前の夫婦でしょうか、男女が来店しまして、席に着くなり店員に対し、当然のようにタメ口。料理が運ばれてからもカタコトな日本語の外国人店員に対し、箸をくれだのナイフをくれだのと命令口調で指図とクレームを付けているのを見ました。
この前者と後者に、生きた時代背景の違いを大きく感じるわけですが、前者は、戦中戦後の物資が不足していて、仮にお金を持っていても、ものを売ってもらえない時代というのを若い頃に経験していて、ものを売ってもらえるということに対する感謝を知っている世代の人なんだなと思うのです。
後者は、物心付く頃には食べるに困らない時代に生きて、お店の方から「買ってくれてありがとう」と言われて当たり前の時代に生きてきたために、その感謝を忘れ始めた時代を生きた人かと思うのです。
もちろん個人差はあり、世代でカテゴリー化するのは大変危険な考えかもしれませんが、少なくともこの日見た、この前者と後者にそういった世代の温度差を感じるものがありました。
さらに若い我々の世代、この先の新しい世代というのは、明らかに後者側の考えと意識を強く持つ世代と言えると思うのですが、おれ個人としては、それはあまりいい傾向に思えないのです。
どの世代であれ、与えてくれる他人の労働への感謝を忘れてしまえば、それは大変不幸なことで、物資が溢れた世の中であっても本当の豊かさではないと思うのです。
たまにクレームなんかで聞く、「客に対してその態度はなんだ!」というセリフは、あまりに周りが見えていない自己中心的なセリフに感じ、おれ個人の考えでは全く意味の分からない理屈に聞こえるものだから、「客だからなんなんだ?」とつい横から口を挟みたくなってしまう。
そんな文句を言うのならば、コンビニでおのぎりやサンドイッチなんか買わずに、何もかも栽培、製造して全部自分で作ればいい。
大人がカレーという、スプーンでこと足りるであろうものを食いに行って、個人的な都合で箸やらナイフが必要なら、普段から持ち歩けよと言いたい。頼むのであるなら頼むなりの態度、もの言いというものがある。立場が客であってもだ。
ものを売る人よりも、お金を払う人の方が偉いなんていう理屈から人は横柄になり、物資の提供者への感謝を怠ると思うのですが、当然売る側に手抜きや怠慢があればそれは注意を受けても仕方がないとは思う。
そういったところから生まれた接客のマニュアルがコンビに等の無機質な対応で、それに対して買う側はもはや人とは思っていない。コンビニの店員と自販機は同等のものでしか考えていない。
その方が売る方も買う方も楽なんだろうけど、おれだったら同じ酒を買うにも、コンビニで買うよりも、少しおせっかいなオヤジのいる酒屋で買う方がいいなぁ…

そういえば、ある友人が言ってたのを思い出しました!
「近所の酒屋のおっさんの、『サンキュー、またね!』っていうフレンドリーな言葉に、コンビニよりも10円高い缶ビールの10円分の価値がある。だから、おれは酒は酒屋で買う」
なんかこういう頑固さって好きですね。
この友人は明らかに水準以下の生活で、傍目からもビンボーなんだけど、財布以外の部分がちゃんと豊かなのだと感じましたよ。
なんて言いながらおれは、さっきコンビニで手軽に買ってきたビールをすすってたりして…

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ローリング・ストーンズで初めて買ったオリジナルアルバムがこれ。
かの有名な「(I Can't Get No)Satisfaction」が収録された「Out of Our Heads」のアメリカ版。
初期のストーンズに限らず、この頃のヒットメイカー達はイギリスとアメリカをはじめ、国によってリリースパターンが異なり、同じジャケットでも収録曲が違うということは多々ありまして、そこを把握しないと、コンプリートしようかという時に非常に困るのです。
このアルバムも随分昔に買っているので、CDでもリマスターやリマスタリングは一切施されておらず、でも、個人的には高音に少しシャリシャリ感のある、小汚い音でこのアルバムを聴いてきたせいか、最新技術で蘇生した現行の音には若干違和感を感じる。
とまぁ世界的に有名な「(I Can't Get No)Satisfaction」なのですが、「No」が付くのってなんで?って英語力0点のおれは思うのですが、満足してねぇよ!って言うのを、超満足してねぇよ!って感じかな…なんて勝手な解釈をしています。
CDの和訳には、「頭にきたぜ、不満だぜ」って書いてあって、さらに分からなくなる…
しかしまぁ、バンドでデカい地位を築いた1965年時のローリング・ストーンズも、この時点で満足していなかったのかなと…でも、満足していなかったからこそ40年以上現役でやれているのですな。
ちゃんとタイトルの意味も把握してませんが、「(I Can't Get No)Satisfaction」というのはある意味、あらゆることを目指す人のキーワードかと思うのです。
おれは「(I Can't Get No)Satisfaction」でいたいと思うのです。それは他人に対してではなく、自分に対してだと思う。でも、おれに限らずみんな誰でも「(I Can't Get No)Satisfaction」のはずなのですが、それが自分以外へ向けられたときに、つまらないクレーマーになったりするし、他者への感謝を忘れる瞬間なのではないかな…なんてことを思うのです。

「(I Can't Get No)Satisfaction」が自分の中にあれば自分自身と向き合えていると思うのですが、外へ向けられている時というのは、我を失っている時なのです。
それが、他人のせいにするとか、社会が悪いとか、無意味で小さな怒りなんじゃないかな…
なんか自分で言ったものの、本当はスゲー身に覚えがあるから多くは言えないのです。


(I Can't Get No)Satisfaction / The Rolling Stones 1965年
11/01|MOLICE 07||TOP↑
プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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