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短く振り返り、先を見据えます。

2007年は変動の年でした。
2008年は躍動の年にしたいです。
今年は大変お世話になりました。
来年も必ずお世話になるはずです。
よろしくおねがいします。

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我々は2007年、録音物として、4曲をこの世に産み落とすことに成功しました。
個人的に、これが今年手にした、いちばんの財産であります。
できる限り、作品をゼロの年は経験したくありません。
ミュージシャンにとって録音物は、記録の絶対的な証拠です。
その証拠を提示できるバンドに在籍していることは、非常にハッピーなことだと思っています。
言葉や噂はたくさんのウソを付きます。
残した音源はウソを付きません。
だから、ウソを付かない音楽で人はハッピーになれるのです。
2008年は、このハッピーを、より自信のある形でお届けすることを誓いましょう。

2009年に向けて発進します。


Headphone / Molice 2007年
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12/31|MOLICE 07||TOP↑
昨日秋葉原までお越しいただいたみなさん、どうもありがとうございました。
はるばるイギリスから来られた方々もおりまして、感謝感激でございます。
我々の作り出すリズムは国境を越えられたでしょうか?
上手く言葉は通じなくとも、意思はちゃんと伝わったと思います。

さて、最近は1本のライブ終了後毎にブログを書いてますので、書く回数は徐々に減ってはいますが、日々思うことはたくさんあります。
バンドでロックなんてジャンルのものをやっていると、妄想と理想の懐古趣味に傾倒しがちで、新しい概念や人物に対して、つい否定がちになってしまう。
なんか前にもこんなこと書いたけど、身近なもので言えば、ケータイというものを、電話という概念の下で手にしたために、メールという文化が普及し始めると、「どうして会話で済むものをわざわざ文字で送るのか?」などと、疑問に感じてしまい、その間にも世の中は変わっていき、ケータイ=電話という概念から抜け出せず、その利便性に気付くのに遅れてしまう。
でも、ケータイで電話もできて、メールもできて、音楽も聴けて、テレビも、ネットも、買い物も…という概念の下で手にした人はそれらを上手に使いこなす。
ケータイというものは、たまたま電話からスタートしたもので、最終的にはケータイさえ持ち歩けば、それだけでなんでもできてしまうものを目指していたのでした。と、今更やっと気付くのでした。
音楽ってこうあるべきだ!とか、ロックってこうじゃないと!という概念が邪魔をして、他の利便性というか、可能性に気付かないことを頑固という。
個人の持つ概念というものは、その個人にとっての正義であり、新しい概念というのは言うならば悪で、その悪を提示する側にもまた正義の概念がある。それら正義と正義を衝突させて、自分の中にあるそれまでの概念の紐を解きながら、敵対する新しい概念を理解していくことで、個人の中に新しい概念を作り出すことができる。
なんか、自分の中でそういったことを延々と繰り返しながら歳を重ねていっているように思うのです。
断定と否定、この二つはその個人の概念の殻を守るための防御の言葉と態度で、でもそれは、相手の概念を理解する前に決め付けてしまうことでもあり、この二つが会話の中で飛び出してしまえば、敵対関係は表面化し、そこで両者の会話も関係もおしまいになる。
討論上で断定と否定でねじ伏せた側は、まるで優位に立ったように思うのですが、それは自分の固定概念を守ったに過ぎず、逆に、相手の断定と否定を受け入れた側の方が新しい概念を吸収しているわけで、それに伴った新たな考えを生み出すことができ、意外と本音という名の隠し球を持っていたりもすると思うのです。
なんてことを近頃、本を読んだり、国分寺辺りのバーで飲んだりする中で、なんとなく考えていました。
正当な会話というものは、互いの対等な位置づけからでなければ成立しないと思うので、広く、多くの人と対等に話せるように、おれ自身日々精進するのみですね。
あと、説教や注意、忠告といったものは、否定や断定とは違うものでして、大人になっても説教してくれる人がいるっていうのは、どういう立場であれ、やはり有難いもので、その言葉がもしも意に反していたとしても、一度受け入れてみるか、まったく受け入れないかでは、その投げかけられた言葉の価値も180度変わると思うのです。
褒められることがあれば素直に受け止めればいいと思います。

と、まぁ…このブログの機能もロクに使いこなせないおれは、非常に頭が硬く、余計な概念がいつも邪魔をしているわけですが…

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最近の好きなミュージシャンの中でも、とりわけジャック・ジョンソンが好きでして、音楽のみならず、そのライフスタイルに憧れを感じます。
この人、1975年生まれ、ハワイ・オアフ島の出身で、自宅がビーチと庭続きという恵まれた環境だったこともあり、物心付く頃にはサーフボードに乗っていたといいます。
高校生になる頃にはプロサーファーとしてスポンサーとプロ契約も結んでいたのですが、波乗り中の大事故でしばらく海に入れなくなってしまいます。
その事故をきっかけに、趣味のギターと映画撮影に没頭するようになり、映画の方はいち早く注目を浴びて、賞をもらったりもしていたようです。
ジャックの音楽なのですが、サーフミュージックとして近頃定着している、ハードなパンクやロック調ではなく、極めてシンプルなアコースティックサウンド。
そんなジャックの音楽の才能を見出したのは、あらゆるジャンルの音楽をルーズにアコースティックギターで表現することで有名な、Gラヴ&スペシャル・ソース改めGラヴでして、ジャックにも音楽的な影響を大いに与えていたそうです。
そんな経緯でジャックはミュージシャンになるわけですが、彼は波乗りのリズムで曲を作るといいます。
自然のリズムを忠実に受け止めて、アコースティックギターで表現するのですね。
じゃあ、海とか波のことを主に歌うのかな?と思うと、意外とそうでもなかったりして、私的な歌詞だったりもします。
彼がサーフィンをするのも、映画を撮るのも、音楽を作るのも、全てが自然で、それらを全てに共通させて、反映させているというところに、多くを学ぶべきことがあると思います。
地球上のどんなものであっても、そこに技術というものが発生するのであれば、そこにはリズムがあり、どれだけ世の中の文明が進んでも、結局は自然との調和なのかな…なんてことをすごく感じます。
ジャックの持つ才能というのは、ただ単に器用ということだけではなく、サーフィンも映画も音楽も、それぞれを個別の概念で考えるのではなく、ライフスタイルという一貫した概念を持てるという柔軟さにあると感じるのです。
そんな彼のライフスタイルを、絶対にこうだ!と断定することも、当然否定することもできません。
3枚目のアルバムIn Between Dreamsに収録の、「Sitting Waiting Wishing」で、メジャーとセヴンスのコードをミディアムテンポで交互に鳴らすギターは、やはり波を連想させられます。
おれは波乗りはしませんが、海や山といった、デカイ自然に触れたくなることがあるのは、おれもまた、地球上の生き物だからなのでしょうか。
母なる海とか、父なる大地とは言ったものです。
そんなことを思いながら、ジャック・ジョンソンを聴いて過ごす年の瀬でございます。

会話に行き詰るとつい使いがちな「断定と否定」を使わない人間関係を、来年は心掛けたいと思います。
今年は大変お世話になりました。2008年もよろしくお願いします。


Sitting Waiting Wishing / Jack Johnson 2005年
12/28|MOLICE 07||TOP↑
昨日、代官山まで来てくれた皆さん、どうもありがとうございます!
ライブ終了後、渋谷とその周辺の街の明かりが、低く立ち込めた雲に反射していたのか、代官山の空は、まるで火事場のように赤く染まっていました。
次回のモリスは27日に、今年たぶん年37本目のライブにして、2007年の総決算となるライブが、泥酔者続出にて行われます。
お楽しみに…

頻繁にこのブログを覗く人は気付いているでしょう。プロフィール欄の写真が変わりました。
前に載せていた写真の人物は「シェリーにくちづけ」のヒットで知られる、ミッシェル・ポルナレフというフランスの方なのですが、同曲のシングル盤ジャケットをずっと載せていました。
今載せている写真は、映画イージー・ライダー等の出演で知られる俳優、ピーター・フォンダ氏でございまして、いい感じに似ている角度の写真がありませんでした。
どういうわけかおれ、似てると言われる人物って、このように西洋人も多く、でも、おれの顔って典型的な東洋人顔!
ミッシェル・ポルナレフにしてもピーター・フォンダにしても、実物というか、映像などではそれほど似てなくて、一部の写真が酷似しているだけなんですね。
日本人だと似てる人って誰かな…系統でいけばドリフの仲本工事氏の路線かと思っていますが、もし今後太っていけば大木凡人氏の素質も持っていると思います。
最近の有名人だとよく分からないですが、おぎやはぎの3人目っぽい顔と言われたことはありますね。あと、オリエンタルラジオの人もよく言われる。
伸びた髪が邪魔で7:3に分けたら、80年代の香港スターみたいだね。なんてことも言われたな。
あと、よく言われるのが、初対面や面識の薄い人から、地元の友達に似てる。親戚のオジサンに似てるなどなど、こればっかりは似ている相手がよく分からないので反応に困りますね。
あらゆる人のお父さんの若い頃の写真に似ている率はカナリ高いみたいです。
要するに、顔のタイプが古臭いってことですかね。
なんといっても、困ったことによく人間違いをされます。
電車に乗って本を読んでいると、乗って来た人が「アレ?」なんて顔をしながら、おれの顔を二度見してきたり、時には覗き込んできたり…
「おー、こっちこっち!」みたいな事を遠くから言いながら、思いっきり手を振っている人が正面にいると、おれも、この人誰だったかなぁ…なんて思いつつも歩いていて、その人と通り過ぎる時に、おれの顔から視線を反らすように顔を伏せて素通りされたり…
待ち合わせによく使われる、渋谷ハチ公前や、新宿駅東口の交番前などで、一人タバコを吸っていると、「ゴメーン遅れちゃった~」とか言われて、知らないお姉さんに抱きつかれたり…(こういうのはけっこうオイシイ!)
いちばん凄かったのは、「ヨウコ、ヨウコ~」と言われて、振り向いたら、「スミマセン、人違いでした」って…そのヨウコって女は、一体どんな顔してるのかと思っていると、おかっぱ頭の平均的な特徴のない顔のメガネ女が現れて、さっき間違えたツレも、「あ、ヨウコいた!」とか言って平然と立ち去った。
こいつは、友達であるアンタと男のおれを間違えてたんだぞ!って教えてやりたくなったね。
あとはね、ある友人がメガネ屋で黒縁メガネのコーナーを見ていたら、おれの顔がたくさん並んでるように見えた!って…
またあるヤツは、おれの似顔絵を書くときに、メガネと八重歯を書いておけば、あとはいい加減に書いてもおれの顔っぽくなるってことも言われましたね。
でも、近年おれの顔のパーツには長いモミアゲっていうものが加わっているので、似顔絵を描く際には要注意!
そういえば、パーティグッズなんかにある、目の書いてあるメガネを掛けると、それだけで全員がおれの顔になるってことも言われたなぁ…

どうやらおれのような顔は、老若男女、洋の東西を問わず、地球上のどこにでもいるようなのです。
もしもおれが指名手配でもされたら、みんなパーティグッズのめがねを掛けて、追っ手をかく乱させつつ、かくまってくださいね。

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似ているってことで、この2つのレコード・ジャケット。
前々回でも挙げたトム・ウェイツのアルバム「レイン・ドッグ」も文字の配列が非常に似てますね。
エルビス・プレスリーのこの1stアルバムと、クラッシュの3rdアルバム「ロンドン・コーリング」では、プレスリーの方が23年も昔の作品でして1956年、後者は1979年の作品です。
クラッシュのデビュー当時の1977年には、この年の春の時点でまだまだ現役だったプレスリーやストーンズ(ストーンズは今も現役ですが…)を皮肉って、『♪1977年にはプレスリーもストーンズも必要ねぇ!』なんてジョー・ストラマーは歌っていましたが、その答えだ!とでも言うように、この年の8月16日にプレスリーは永眠します。
その2年後、なんだ、クラッシュもプレスリー好きなんじゃん!っていうモロなデザインのパロディのジャケが「ロンドン・コーリング」でございます。
エルビス・プレスリーっていう人、シンガー・ソングライターかと思いきや、ソングライターではないんですね。
この人は作曲はしません。歌とギター専門です。(ピアノも弾いたりしますね)
しかしこの人、提供された楽曲の解釈が極めて優れているんですね。
自分で曲を作らなくても、自分のものとして歌うことができるというのは、それだけの技量があるということなのですよ。
プレスリーの歌というのは、常に自分自身をストレートに演じている印象を受けます。
この1stアルバムに収録されている、オリジナルはレイ・チャールズの「I Got A Woman」一つを取ってみても、オリジナルを再現するのではなく、やはりプレスリー自身のものにしているんですね。
これができるから、いろいろな人が書いた曲が並んでいても何の違和感も感じないし、提供された曲だけで長年聴き継がれるシンガーとして成り立つんだな…と思うのです。
盗作ギリギリのソングライターよりも、提供された曲を自分のものにするというのは、アーティストとして後者の方が100万倍凄いことで、後者の方が新しいものを生み出しているんです。
何か他人が真似をできないことをするというのがオリジナルで、好きなものの影響は大いにあるにせよ、憧れだけのソックリな猿真似になるよりも、自分自身を真っ直ぐ表現することこそ重要なのではないか…などということをプレスリーを聴くことで思うのであります。

ちなみに、冒頭で挙げたピーター・フォンダって最初は、文字ではなく言葉で聞いていたために、ピーター本田さんっていう日系人かと勝手に思ってました。
こういう勘違いって、ちょいちょいありませんか?
顔などの見た目だけはどうしても誰かに似てしまうおれなので、それ以外の自分のオリジナリティーとはなんぞや!と、考えることにしますよ。


I Got A Woman / Elvis Presley 1956年
12/12|MOLICE 07||TOP↑
早いもので12月も5日なんですね!
ということは、国分寺RUBBER SOULでモリスワンマンショー『 Head on YOU!! vol.2』が行われて、早いものでもう5日が経つと…
その間におれは、観に来てくれたみんなにロクに挨拶もせず5日を過ごしてしまったということになりますね。
スミマセン…遅ればせながらありがとうございました!

近頃CDを買うときにライブ盤を買うことが多いのですが、意図してライブ盤を買っているのではなく、聴きたい!聴いてみたい!と思うものがここんとこライブ盤でたまたま続いてます。
昔から金がなくても忙しくても、それなりにCD、レコードを買って、新たな風を自分の中に送り込むということを欠かしていません。
あ、近頃はレコードの針を交換してないのでレコードでは買っていません…
昨日は街へ出まして、街とは新宿なのですが、西新宿ブートもののビデオを取り扱うお店に出向いてはアレコレと映像を眺めて悩んで結局買わず、普通のCD屋さんでボブ・ディランのブートレグ・シリーズ・ライブ1966を、発売から約10年越しで購入したのですが、今聴いているのはナゼかレッチリこと、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブ盤です。
レッチリといえば新作をリリースすれば必ず、そのリアルタイムの時代に生きる若者の多くを釘付けにし、リスナーの年齢層を作品毎に拡大させていくエネルギーを放出し続けるバンドなのですが、そこには群を抜いた技術とセンス。特に、若者の心を掴んで離さないツボを抑えたセンスが常に伴っているからなんですね。
そんなことから、このレッチリってバンドは面白いものでして、リスナーがどの作品に強い思い入れを持っているかで大よその年齢が分かってしまうんですよ。
と、いいますのは…
1987年の、「アップ・リフト・モフォ・パーティ・プラン」
1989年の、「マザーズ・ミルク」
1991年の、「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」
1995年の、「ワン・ホット・ミニッツ」
1999年の、「カリフォルニケイション」
2002年の、「バイ・ザ・ウェイ」
2006年の、「スタディアム・アーケイディアム」
と、それぞれレッチリが世界的に、本格的に人気を伸ばし始めた3枚目以降のアルバムタイトルなのですが、だいたい2年から4年間隔でリリースしていまして、大よその人が高校の3年間を挟んだ、15歳から18歳の間にどのアルバムがリリースされたかで、思い入れの強いアルバムも変わる傾向にあるようなんですね。
トータル的に見て「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」を最高傑作と挙げる人は多いのですが、おれも「レッチリのアルバムでいちばんは?」と言われれば、迷わずにこのアルバムを挙げます。
しかし、思い入れとなると少し違うんですね…
全然年齢を隠してるわけじゃないですが、おれがこの中のどのアルバムに強い思い入れを持っているかは秘密です。
例えば有名人では、元ジュディマリのYUKIちゃんなんかは昔、雑誌か何かで「マザーズ・ミルク」を高校生の頃に夢中になって聴いた!なんてことを言ってましたね。
最も駄作みたいに言われがちな「ワン・ホット・ミニッツ」を「デイブ・ナヴァロこそオルタナティブロック界最高のギタリストだろ!」なんて執拗に擁護する年代って、その年齢にレッチリ聴き始めた人、もしくは、このアルバムがリリースされた時期が高校生だったという人が多いるんですね。
いわゆる松坂世代と言われる1980年生まれであれば、思い入れが「ワン・ホット・ミニッツ」と「カリフォルニケイション」の間に位置するので、いずれかのアルバムの思い入れが強いのではないでしょうか?
ロックに早熟な人で中学、並みのロックファンでも高校辺りでリアルタイムに発売されたレッチリのアルバムを聴いて、そこから過去の作品も掘り下げて聴いて、新作がリリースされれば、その作品の論評をする。
多くのレッチリファンはこのような系譜を辿っているように思うのです。もちろんおれもね。
レッチリというのは多くの音楽の要素を含んでいまして、そこからあらゆる音楽に飛び火して、様々な音楽を聴くようになったという人も多いかと思います。
かのおれは、レッチリを聴かなかったら、スライ&ザ・ファミリーストーンやジェームス・ブラウン、ファンカデリック、国内ではじゃがたらといった人達の素晴らしい音楽と出会う機会が随分と遅れていたと推測します。
なんだか、「そういうリリース間隔だったらレッチリじゃなくても、レディオヘッドでもプライマル・スクリームでも同じことが言えるんじゃねぇの?」なんて声も聞こえてきそうですが、例に挙げたレディオヘッドやプライマル・スクリームといったバンドは、作品毎に作風が大きく違い、好みの比重が年代に関係なく、個人のバックボーンによって偏るような気がするのですが、レッチリというバンドは常に作風が一貫してるのが特徴なんですね。
よって、このような現象が起こると推測しています。
そして、このような現象が途絶えない限りは、レッチリというバンドはキングであり続けると思うのです。
もはやメンバーは年齢の限界というものはとっくに超越しているのでね。

個人的に、曲単位ではなく、アルバム単位で語られるバンド(アーティスト?)って、古今東西どのバンドも優れているように思います。
曲単位でしか語られないバンドの多くは、どうも時代に掃き捨てられてしまう感があるのですが、強力なアルバムっていうのは時代の荒波を超えれる、骨格のしっかりした船みたいなものですかね。
ヒット曲という名の旗が一本掲げられただけのドロ舟のアルバムでは、時代の荒波に呑まれてしまうわけです。
しかしレッチリって、リリースするアルバムが常に豪華客船みたいな、時代の荒波ももろともしないバンドなので、ファンの思い入れも分散するんですね。
本当に優れたバンドである証拠です。

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レッチリといえば演奏も含めた全てのパフォーマンスに定評があるだけに、オフィシャルでのリリースがこの一枚のみというのは実に不思議です。
ビデオとかDVDの類がけっこう出てるからそれでオッケーなのかな?
このバンドのファンを名乗るのであれば、必ず映像作品に辿り着くだろうし、イギー・ポップ同様に、レッチリのライブ体験はファンとして必至課題ですけどね。
おれの中でのレッチリベストアクトは、ウッドストック94の、ギターがジョン・フルシャンテからデイブ・ナヴァロに代わって一回目になるのかな?新メンバーが加わって、演奏に少し手探り感があり、張りつめた緊張感もあるけど、フリーが終始全裸!っていうあのライブが最高です。
さてこのアルバム、CD2枚組みでトータルで2時間以上あるので聴くのにけっこうなエネルギーを必要とします。
アナログだったら4枚組8面の内容でしょう!!
もしもディスク2から聴き始めた場合、いきなり始まるフリーの卓越されたベースソロが圧巻過ぎて、ロックとカテゴリーされた音楽CDだとは思わないでしょう。フュージョンとかファンクのCDかと思いますよ。
カバーあり、遊びあり、新曲ありの聴き応えも十分なライブ盤です。
このライブ盤の問題点を強いて挙げるなら、この時点での最新2枚のアルバムからの選曲が大半で、もっといろんなアルバムからの選曲が聴きたい…と思うのがファン心理なのですが、でもこれは、過去に頼らず常に新しい曲を最高!としているバンドの高いモチベーションの表れなんですね。
レッチリには過去の栄光とか、かつての勲章なんて必要ないんですね。
とまぁ、こんなふうに文章を書きながら聴いていると、ディスク1のラストで、スライ&ザ・ファミリーストーンの「If You Want Me To Stay」を思わせるベースラインの後ろではチャドが、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツのような8ビートを刻む…
なんか、スライとストーンズを混ぜたような曲だなぁ…と思ってタイトルの表記を見ると「Rolling Sly Stone」
そのまんまで笑いました。
こんな遊び心のある未発表曲を唐突に披露するのもご愛嬌なのでしょうかね。
遊び心といえば、この数年はハードコア調の「Right On Time」の前には必ずロックの名曲をイントロだけ披露して本編に流れ込む。
このライブ盤では、ジョイ・ディヴィジョンの「Transmission」、他のライブではクラッシュの「London Calling」であったり、また時にはスパイス・ガールズの曲名忘れた…
こんなのをふざけてサラっとやるのに、なんか妙に演奏がまとまっているんだよね。
曲の合間ではチャドが、レッド・ツェッペリンやクィーンのあらゆる名曲のイントロをポコポコと叩き、その度に会場が湧く!その湧いている会場の反応が可笑しく、CDを聴いているおれが笑う。
良くも悪しくもライブってどこか見世物のようなものなので、一線を画した技術を持つのならばそれだって見世物なわけで、それを笑う人がいたっていいと思うし、カッコイイことって紙一重でダサいとも言われるわけで、ダサさありきでカッコイイと言われた方が気分もいいと思うわけですね。
なんかレッチリって一点攻めではなく、あらゆる方向のものを常に極めようとしていいて、だから喜怒哀楽に溢れた感情豊かなバンドなんだなぁ…なんてことをつくずく思うのでした。

このライブ盤は、ただのライブ記録ではなく、リズムと向き合うアスリート達の汗と笑いの戦記であります。
長々とすみません。酒飲みの与太話でございました。


Rolling Sly Stone(Live) / Red Hot Chili Peppers 2004年
12/05|MOLICE 07||TOP↑
プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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