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昨日国分寺RUBBER SOULに来てくれたみなさん。どうもありがとうございました。
ひと山越えるとまた次の山を目指す。そんなふうにして世の音楽人は成長と変化を遂げています。
そんなモリスを次回も国分寺RUBBER SOULでお楽しみください。

アフリカのケニアだっけ?ガーナだっけ?ノーベル平和賞受賞者のおばちゃんがつい何年か前、「もったいない」という日本人独自の言葉と概念は環境問題を考えていく上で大事なことだ!みたいなことを言っていましたが、我々日本人にとって日常的な言葉でも、世界的にこの概念を持たない言語と国がほとんどらしく、それを知った時にはかなり驚きました。
消費社会において、「もったいない」という概念のない生活なんてまったく考えられません。
おれはこのおばちゃんの言葉を支持します。
じゃあ逆に、外国にあって日本人にはない概念を持った言葉ってなんだろう…って考えた時に思い浮かんだのが「自由」(FREEDOM)という言葉でした。
今の日本人には「自由」という概念があるわけですが、この言葉のルーツというのは福沢諭吉が海外から持ち込んだ言葉らしく、その昔、そんな話を聞いたおれは、「さすが一国のお札になるだけの人物は違うな~」などと深く関心したものです。しかも!「フリーダム」というカタカナ日本語ではなく、一語の日本語として「自由」という新語を作ったことで国内でも広くその複雑な概念を理解されていったのでしょう。
しかし、最近では見方や考え方も少々変わってきました。
「自由」な人がいれば、「不自由」な人もいるわけで、「自由」といった概念があることで、必然的に「不自由」といった逆の概念も生まれてしまったのではないか…なんて考えるのです。
福沢諭吉は必要に応じて「自由」という概念を国内に持ち込んだのですが、同時に「不自由」のレッテルも植えつけてしまったような気がしてならないのです。
自由を目指すために隣人を蹴落として、不自由な人を作り出すことで得た自由というのはどんな味がするのでしょう…それが格差社会ってやつなのか?いやいや、それが現代社会ってやつなのでしょう!他人の気持ちや立場を省みないなんていうのは、やもはや生きるための常識です。そんなキケンな味をおれも生活の中で知らず知らずのうちに味わっているわけですな。
別に衣食住に困るわけじゃないし、ビンボーって言っても餓死する環境じゃない国なのに、「欲求という名の見栄」を「向上心」っていう便利な言葉に置き換えて、正当化させてるのが先進諸国なのかな…まぁおれ自身がその恩恵を受けながらバンドをやれていたりもするので、むしろそんな社会には感謝すべきなのかもしれないというように、一方向で推し進めた考え方も、ひとたびその裏をのぞき込むと矛盾が生じてきてしまうわけです。
新しい言葉や概念を身に付けるときに、その逆の意味と可能性も掌握しておかなければ、その言葉や概念に心が呑まれてしまうかもしれません。
なにせ言葉ってヤツは、人を殺すだけの恐ろしい力を充分に持っているからね。
凶器であり狂気でもあるんだから。

そもそも「自由」って言葉は解釈の範囲があまりに広く、個人個人の「自由」の概念そのものが大きく違うはずなので、文面に疑問符な方は悪しからず…
そんなおれは今日も自由人。

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実は今、ジュディマリではなくブロンディを聴いているのですが、けっこうジュディマリが好きでして、そもそもは、おれ自身90年代って時代を多感な時期に過ごしていたので、自分世代の国内の文化に大きな影響を与えている人達を安易に否定はしたくはない!という視点で見ていた結果、CDもコンプリートしています。
個人的におれの中でジュディマリって日本のブロンディなんですよ。音楽的にというよりは、バンドの系譜とか文化に与えた影響とかね。YUKIちゃんとデボラ・ハリーには似た点があるわけです(その理由は今度細かく解説します)
5枚目のアルバムの前にリリースされたシングル「ミュージック・ファイター」という曲を、タモリが司会のあの歌番組でバンドが演奏しているのを、特に音楽とかロックとかそういったことに関心のない友人の家のテレビで見ていました。するとその友人が「これって曲なの?」と、おれに聞いてくるのです。なかなか面白い質問です。
おれはちょっと考えてから「これが曲じゃなかったら音楽っていうものの幅が狭くなり過ぎて、誰も音楽なんてやれなくなるんじゃない?」と、少々曖昧に答えました。
確かにそれまでのジュディマリの曲とは違ったタイプの曲でして、ジャジーなイントロからノイジーな展開を繰り返し、でもサビはJポップ!というような少々冒険的な曲でして、おれも正直言うと、「この人達はどの方向に行きたいんだろう…」と、戸惑って聴いていました。
タイアップのCMでは、この「Jポップなサビ」部分だけを流していて、もしかしたら作り手の意図とは反していたのかもしれません。
でも、ジャジーなイントロからノイジーな展開の中にある、YUKIちゃんの持つ破壊的キュート感をおれは汲み取ることはできました。
これは、ボアダムスのヨシミさん率いるOOIOOの持つキュート感を汲み取ることができれば、この感覚は容易に感じれるものかと思います。
ジュディマリとOOIOOでは音楽的にかなりフィールドがかけ離れていますが、ジュディマリがそっち側のフィールドに最も接近した瞬間を見せる曲なのではないでしょうか。
音楽っていうものは本来は自由なものです。ロックをやるからといって、なにもエレキギターとエレキベースとドラムじゃなくたってロックは表現できるわけで、固定の概念とイメージが作り手の可能性を壊してしまうこともあるような気もします。
楽しくなければ音楽じゃない。それは作り手にも聴き手にも言える事なのではないでしょうか。
どんなバンドにもルールはあるわけで、バンドってのはそのルールを共有した者の集団で、そのルール内での遊びの表現なんですわ。
遊びってことは自由なわけで、そんな自由を表現するものなのに、不自由を伝えたり、不自由を汲み取ってはいけません。
そして、全国のライブハウスさん。お客さんを狭い爆音の部屋に監禁せずに、せめて出入り自由くらいにはさせてください。


ミュージック・ファイター / JUDY AND MARY 1998年
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プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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