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日が経つのは早いもので、国分寺RUBBER SOULでのスペシャルな一日から10日近くが経過し、西武ライオンズも今月に入って昨日ようやく一勝と…かつて見たことがないどん底の状態でして、長年阪神やロッテを応援していた人の気持ちが分かるようになりました。
26年連続Aクラスを保持していた記録を崩してしまうのなら、いっそのことここで最下位でも味わって、来年底力を見せて欲しいと思う今日この頃です。
2007年初頭、ゼロからスタートしたMOLICEも徐々に徐々にジワジワと勢いに乗っていき、よりシャープに、よりハードに、そしてよりセクシーに進化していきます。

ナンシー梅木さんって、この前チラっと名前を出してみたら、この人最近亡くなっていたんですね。
昨年(あれ…今年?)アカデミー賞の最優秀助演女優賞候補にノミネートされた菊池凛子さんで話題になってましたが、アジア出身者として初めてアカデミー賞の演技部門を射止めたのがこのナンシー梅木さんなのですね。
演技に関しておれは全くの無知で、それがどれくらいスゴイ快挙なのかということをあまり理解していませんが、ジャズシンガーである彼女の歌声はちゃんとおれの耳がキャッチしています。そして、おれの耳からさらに若い世代へと受け継がれていくことで、この世を去った彼女の歌は色褪せることはないのです。

前にアニマルズのチャス・チャンドラーの人生を振り返ったように、彼女の人生を覗いてみます。
ナンシー梅木(本名:梅木 美代志)1929年5月6日(4月3日という資料もあり謎)9人兄弟の末っ子として北海道小樽市生まれる。
終戦後、彼女の兄が進駐軍の通訳の仕事をしていた関係で、米兵が彼女の実家を訪れるようになり、その米兵達の聴く音楽をきっかけにアメリカのポピュラー音楽に惹かれるようになり、米軍キャンプなどでも歌う中で技術を習得していき、この頃に米兵からナンシーと呼ばれていたことでナンシー梅木と名乗るようになる。その後上京、オーディションを経て、デビューのきっかけを掴んだのが戦後の1949年のこと。
1950年代の半ばにアメリカに渡り、ナイトクラブなどで歌う傍ら映画にも出演するようになり、日本のみならずアメリカでも知名度を上げていき、1957年の映画「サヨナラ」の出演で東洋人としては初めてオスカー像を手にする。
これをきっかけにナイトクラブでも映画出演でも高給を手にするようになり、その地位を高めていく。
1958年にNBCのディレクター ウィンフィールド・オピーと結婚、その後離婚。1968年にはディレクターのランドール・フードと再婚、1978年に死別。
この2番目の旦那さんとの死別を機に表立った活動をしなくなり、アメリカ西海岸辺りでひっそりと生活しているということ以外の情報と消息を絶つ。
ナンシーは健在というウワサだけが浮遊したまま30年が経過した2007年8月28日、ミズーリ州の医療保養施設で、癌のため死去されたそうです。
後に明かされた70年代後半以降の人生は、引退後ハワイに移住した後、最近までミズーリ州で息子夫婦や孫と暮らしていたということでして、それは長い長い幸せな晩年を送っていたことでしょう。
彼女が全盛の頃、何度か帰国していくつかのショウにも出演していたそうですが、ハリウッドやブロードウェイやテレビ・ショウに慣れた歌い方が当時日本では好意的に受け入れてもらえなかったようで、ここは憶測ですが、こういったところに日本という故郷に対する疎外感を感じていたために、アメリカ永住の決断したのかな…なんてことを想像したりしてみます。
(CDのライナーとウィキペディア参照です)
そういった見方をすれば、母国というホームを捨てるという決断の孤独は計り知れないものだとおれは思いつつ、勝手なロマンに浸ったりしてみます。
もし子供や孫がいなかったらどうでしょうね。やはり帰国してたのかな…でも消息を絶った後は、実はミステリアスでもなんでもなく、普通のたくましいオカンだったのかな~なんてことも思いますね。
だって、みんな人間ですから。

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いつも基本的に収録曲の入ったオリジナルアルバムのジャケットを載せているのですが、この人のオリジナルアルバムって実はよく分からないので、彼女が残した2枚のアルバムと何枚かのシングルが網羅されているらしい、おれも所持するこのアルバムで。
どうやらおれが音楽を好む基準ってあるみたいでして、基本的には生音を好むのですが、その中に「泥臭さ」と「ポンコツさ」を感じるとより惹かれるみたいです。
昔から嗜好するガレージとかパンクっておれの中ではポンコツで、煙をモクモクと上げてガタガタと揺れながら走る車なんだけど、ムリして超ブッ飛ばしてる!みたいな…
じゃあ泥臭いっていうと、この人の声なんてもう泥まみれで、思いつきで買って聴いた直後はもう大当たり!泥んこの泥まみれでしたよ。
おれの感覚だとビートルズもツェッペリンも凄く泥臭くて、それって、レコーディング技術ではない、演奏技術のうま味が収まっている感じがおれの表現だといい泥臭さなのです。
なんだか上手く言えません…
基本的にナンシー梅木さんという人は英語で歌うのですが、時折聴こえてくる日本語の歌詞にググッときちゃうんですね。
なぜならば、おれには英語が分からないから…なんかそれはCANを聴いていて、ダモ鈴木が急に日本語で歌いだす感じと似ています。
このCDを1曲目から聴いていて、急に日本語の歌詞で歌い始める4曲目「愚かなり我が心(My Foolish Heart)」でつい耳が傾いてしまう。
全体を通して低いビブラートが心地よく、これが彼女の最大の武器なのでしょう。
唯一ハイトーンでキュートに歌う「My Ichiban Tomodati」は椎名林檎とかボニー・ピンク辺りが好きな人にはビビビ!っとくるのではないでしょうか。
仕事から疲れて帰ってきて、寝る前に聴くに相応しい激オススメの一枚です。

と、このように亡くなった人というのもまた生きているとおれは思うのです。
ミュージシャンに限らず亡くなった人というのは、会っていない友人のように、時折思い出してみることで自分の中で鮮明に生きているのです。


愚かなり我が心(My Foolish Heart) / ナンシー梅木 1950年
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プロフィール

※※だいら 〇〇ヒロ

Author:※※だいら 〇〇ヒロ
あたくし、生まれも育ちも東京は武蔵野、北多摩北地区北部、姓は※※だいら、名を〇〇ヒロ、人呼んでバーテンのオーシャンと発します。

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